相手に何か物を渡すときは、
相手の手に渡すのではありません。
相手の心に渡すのです。
相手の心がちゃんと持ったことを確認して渡せば、
相手はキチンと渡された感じがして、氣持ち良いものです。
物を誤って落とすこともありません。
相手に何か物を渡すときは、
相手の手に渡すのではありません。
相手の心に渡すのです。
相手の心がちゃんと持ったことを確認して渡せば、
相手はキチンと渡された感じがして、氣持ち良いものです。
物を誤って落とすこともありません。
合氣道は、相手を導きます。
導く際に、相手の何を対象とするか?
「身体」を対象にすると、こちらも「身体」を使って力で動かしたくなります。
「心」を対象にすると、こちらも「心」を使い「氣」を使って
相手が動きやすいように、“配慮”して導きます。
何事においても人を導く際は、相手の「心」に対して、
「心」や「氣」を使って、“配慮”しながら導く方が良いでしょう。
物事を行うには、「氣力」と「体力」どちらも大事ですが、
合氣道の場合は、「氣力」の方が大事です。
「氣力」:「体力」=10:0と言っても過言ではありません。
「氣力」は実在し、相手の心を動かす力があります。
「体力」偏重ではなく、「氣力」を使えるようになれば、
人間が与えられた本来の能力を発揮することが出来ます。
野生の生き物は、
獲物を捕らえる為に、又、天敵から身を守る為に、
四方八方の氣配に氣付かなければなりません。
「氣」は元々自然界に満ちており、
獲物や天敵が起因となって生じる「氣」の変化を「心」が感じ取って、
獲物を捕まえるなり、天敵から逃げるなりの行動をします。
「氣」の変化を感じ取るためには、「心」がしずまっている方が良いでしょう。
それは、野生の生き物に限らず、私たちにも言えます。
箸を使いこなせるようになる前は、
持ち方や動かし方が氣になって、
先端を上手く使いこなせなかったと思います。
それは、持つ所に「氣」が止まって、先端まで「氣」が行き難いから。
同じような現象は、“強く持つ”ことによっても起きます。
箸、ハサミ、包丁、筆、ラケット、バット、クラブ、剣等・・・
物を持って扱うときは、“軽く持っている”のが基本です。
穏やかに眺めているときは、周囲を感じ取れますが、
にらんだときは、にらんだ方向しか見えなくなっています。
このときに「氣」は…
穏やかに眺めているときは、氣が四方八方に通った状態にありますが、
にらんだときは、氣が通わない状態にあります。
氣が四方八方に通った状態だからこそ、“氣付き”や“氣配り”ができます。
車の運転、護身、接客等々…日常の様々な場面に関係しますので、
普段から穏やかに眺めるような眼差しをしている方が良いでしょう。
『心ここに在らざれば、
視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず』といいます。
心をきちんと向ける習慣を付けたいものです。
心身統一合氣道の稽古では、身体の向きを180度または90度変えたときに、
そちらにあるものが瞬時にハッキリ見えるように訓練します。(前後運動、八方運動)
いつでも身体の向いた方向に心が向く習慣が付いてきます。
武道では、相手が何かしようとしてくる時、それに素早く氣付くことが大切です。
氣付いて、危険を回避したり、相手を制したりします。
その氣付く力は、日常生活でも役に立ちます。
相手は元氣なのか元氣がないのか・・・。
知り合いであれば、何か普段と違う感じはないか・・・。
相手の心や氣の状態を感じて、その人に対して適切な対応をとることが出来ます。
武道を学ぶ者は、よく氣付き、
思いやりのある行動がとれる人間になりたいものです。