良い姿勢の要素の一つは
動き易い状態であるということ
ペタンと座りこめば
そこから動き出すのは大変
行動するのが億劫になる
面倒くさがりの性格の人は
姿勢を直すことで改善されるかもしれない
ブログの中で、「能力の発揮」に関するものです。
良い姿勢の要素の一つは
動き易い状態であるということ
ペタンと座りこめば
そこから動き出すのは大変
行動するのが億劫になる
面倒くさがりの性格の人は
姿勢を直すことで改善されるかもしれない
箸は動かす対象か
自転車は操る対象か
使いこなせるようになれば
物にも神経が通ったようになり
自分と物とが一体化している
もう対象物ではなくなっている
コマが激しく回れば
遠心力が働き
四方八方へ引っ張られ安定する
我々も四方八方とつながっていると思えば
安定できる
風に乗る
風と一体化
波に乗る
波と一体化
我は風なり
我は波なり
大きなエネルギーとなっている
人前で話す時
下を向いて原稿を読みながらでは
聞く人に氣が届かない
顔を起こし
全体の雰囲氣を感じながら話せれば
氣のキャッチボールが出来る
氣のキャッチボールがあった方が
聞く方も満足
伝える方も満足
爽やかな風は心地良い
心が開く
リラックスさせてくれる
石粒混じりの風は痛い
心を閉ざす
身構えてしまう
「氣」は爽やかな風
「力」は石粒混じりの風
やるべきことが次々ある
心の切り替えの上手な人は
ことの始めからそのことに集中している
心の切り替えの下手な人は
しばらく経ってから集中し始める
取り組み始めの差の積み重ねが
大きな差となって現れる
お箸を使うときは
先端を動かすため
先端に意識が通っている
ヨチヨチ歩きの子の手を取って歩かせるときは
足元に氣をつければ
足元まで意識が通っている
物や相手に意識を通せば
そのものと一つになった感覚になる
「全身全霊」とは
体力と精神力の全てだが
全身に力を入れることではない
剣は力を入れては斬れない
力に頼らず念で斬る
全身に氣が通っていれば
全身が動くというだけのこと
全身全霊は
全身0対全霊10位がちょうど良い
身体を強くすれば体力UP
氣を強くすれば氣力UP
では氣を強くするにはどうすれば良いのか?
やるのかやらないのか
行くのか行かないのか
話すのか話さないのか…
心を明確に使う方が氣がハッキリ動く
心を明確に使うことで
氣力を高めることが出来る
不自然な姿勢は無理がある
無理があるから長く続かない
正しい姿勢は無理がない
無理がないから長く続く
姿勢は
物事を長く行う為の基本
念が先行すると
それが追い風となり
大きな助けとなる
成るか成らぬかには
念をはっきり起こすか否かが
大きく影響する
人はやりたくないものはやりたくない
やりたいと思えば
放っといたってやる
「よく学びよく遊べ」は
学びも楽し遊びも楽しであれば
自然に「よく学びよく遊ぶ」になる
あそこが痛いここが痛いなど
身体のどこかが氣になるようでは
全力は発揮できない
手がどう脚がどうなど
身体のどこかを氣にしながらでは
全力は発揮できない
身体が意識から消えているときが
本氣で物事を行っているとき
全力を発揮できるとき
相手を動かそうは他動詞
他動詞の発想は相対的になりがち
視野が狭くなり不自由になる
自分が動くは自動詞
自動詞の発想は相手に囚われていない
視野を広く保つことが出来
自由でいられる
心ここに在らざれば
視れども見えず
聴けども聞こえず
何かをするときに心がそこになければ
時間を無駄に過ごしているようなもの
氣力が萎えると
元氣が無くなるやる氣が失せる
氣力が充実すると
元氣が出るやる氣が起きる
氣力が人を積極的にさせ
充実した人生を送る源となる
我々は大自然の一部の存在
大自然の理に則って生きるのが生き易いはず
自然ではない「不自然」
理に合わない「無理」に
氣付ける智慧を身に着けたい
肩肘のはり
首肩の疲れ、コリ
上半身の使い過ぎ、緊張状態は
上半身に意識が偏っている可能性あり
バランスの良い状態は
意識が下腹にしずまっているとき
意識が下腹にしずまっていることを確認して
ものごとを行ってみよう
自分の能力が何倍にも増えたら…
自分に掛かる負荷が何分の一にも減ったら…
とても楽になるに違いない
そのポイントが「氣分」にある
大きな氣分でいたら
自分の能力が何倍にも増え
自分に掛かる負荷が何分の一にも減る
身体に不調が有れば
心はそれにとらわれ自由を失い易い
悩みや心配事が有れば
心はその事にとらわれ自由を失い易い
何が有ってもそれに囚われることなく
心の自由さを保てる人は
相当な人だ
剣で斬ったり突いたり払ったり
身体の力でそれらをやれば
力んだ動きとなる
心で追い風を吹かし
それに乗って動けば
無駄な力が抜け
氣剣一致の動作となる
自分で感じる身体の重みは変わらないものか?
楽しい所へ行くときは身体を軽く感じる
無駄な力みを取れば軽く動ける
自分の心身を見直せば重みは変わり得る
一生付き合う身体だから
当たり前を疑ってみよう
もっと軽くなるかもしれない
元氣が無いと
心を次のことへ向けられない
一つところに止まってしまう
元氣が有れば
心を次へ次へと向けて行ける
氣は心を円滑に動かす
潤滑剤のようなもの
自然環境に適応して生物は進化してきた
環境が違ったなら
違う進化をしたかもしれない
違う生物が残ったかもしれない
何故、大自然は
人類を誕生させ、生かしているのか?
その想いに応える行動をすべきでは
人を引き付ける魅力のある人は
人を引き付ける雰囲氣がある
人を引き付ける雰囲氣がある人は
運やチャンスを引き寄せる
雰囲氣が変われば
人生が変わる
腕を使う時
腕を動かすから疲れる
脚を使う時
脚を動かすから疲れる
腕や脚が勝手に動くようでなければならない
そのためには
心が外に向き
身体を忘れているようでなければならない
激しく回るコマは
遠心力が働いてしっかりしている
私達にも自分を中心に
遠心力が働いていると考えてみよう
そう思えば遠心力で
目線が上がる
心が外に向く
氣分が伸び伸びする
元氣が出てくる
腕だけや上半身だけ等
部分だけを使っていては力を発揮できない
上手な人は全身を使っている
さらに上手な人は
氣迫とか迫力とか言われるものが伴っている
能力の高い順を整理すると
動くのは
部分<全身<全体
「全身全霊」と言うが
「身」と「霊」は五分五分なのか?
身体に力を入れて動くより
「やる氣」を持って動く方が
集中し長く出来る
「全身全霊」は
「身」よりも「霊」を重視すべき
回転数の多いコマは
物に当たっても安定して回り続ける
回転数の少ないコマは
物に当たるとふらつく
回転していないコマは
ゴロゴロ転がるだけ
人間にもこの回転に相当するものが備わっていれば
しっかりするはず
どう過ごそうとも時間は過ぎていく
散漫な状態でいれば
中身が薄くなる
集中した状態でいれば
中身が濃くなる
集中して過ごすことが
濃い一日、濃い一年、濃い一生につながる
自分は○○が苦手
△△が出来ない
□□のセンスが無い
誰がそんなことを決めたのか?
一度や二度の経験で
周囲の心無い声で
そんなレッテルを貼っていないか?
そんなレッテルを貼っていては
積極的にチャレンジしなくなる
逃げ口実のレッテルは
剥がさなければならない
字は「一字一筆」
点画と点画の間で氣持ちを切らずに、書ききります
すると、繋がりのあるまとまった字が書けます
氣持ちの入った字にもなります
仕事なら…
休憩や中断等離れる間があっても構いませんが
やる氣だけは切りません
氣を切らなければ
中断した所にすぐに戻って再開できるし
一貫して氣持ちの入った仕事ができます
出来ないと思えば出来ない
出来ると思い努力すれば出来るようになる
過去を悔い未来を憂いていては力を発揮出来ない
現在に集中すれば力を発揮出来る
どんな心でいると人生は充実するのか
この世界を創った創り主の想いが
この世界に満ちている
人の応援が力となって
能力を発揮出来ることがある
心の応援は
人に力を与えることが出来る
心には力がある
上半身の力の入る所から動くと
力んだ動きになり易い
下腹の力の入らない所から動くと
力まない動きになり易い
下腹の力の入らない所から動くと
腰の入った安定した動きになり易い
書の上手な人の動きをみると
遠心力が感じられる
身体の外の空氣まで動く感じ
それは書に限らず
スポーツも然り
楽器演奏も然り
上手な人は
場の空氣と共に身体が動いている
何かを行う時に上手くいかないと
「心」が折れてしまうことがある
その時、「目的」つまり“何の為に”があれば
「心」は簡単には折れない
“何の為に”が「やる氣」を高め「心」を強くする
負荷を一部で負えば大変だが
全体に分散させれば楽になる
荷を腕だけで持てば大変だが
全身で持てば楽になる
身体を飛び出して
身体の外にまで分散させれば
もっと楽になる
主役は舞台の中心に
脇役は舞台の端に
人生という舞台では
一人一人皆が主役
一人一人が舞台の中心にいる
そう思って悠々と!
そう思って堂々と!
人間は、形や体積があるので、固体?
血液のように流れるものがあるので、液体?
呼吸により外氣が出入りしているので、氣体?
固体、液体、氣体それぞれの特性を持っている
身体に力みがある時は、自分を固体として扱っている
自分を液体や氣体と認識してみると面白いかも(^^♪
氣力でマラソンを走る時
走る「氣力」があって
「心」がゴールに向かい
そして「身体」が動いている
そんな時は、必要最低限の力で動いているのではないか
つまり無駄な力みがない
普段もそんな感じで動けば
力まず動けるのでは…?
心を打つ所作は
空氣が変わる
空氣がその人と一体となって動く
空氣を変えられるのが
一流の所作
力んで動けば、早く疲労が来る
力まず動くコツは無いか?…
力んだ動きは、小さく硬く見える
大きく動けば、力まず動けるのでは!
自分の身体にとらわれず
身体の外の空間も一緒に動くと思えば
力まず柔らかく動ける
お箸を自在に使いこなしている時は
お箸は身体の一部になっている
物を持って扱う際
物は身体の一部になっているか?
ペンは?ほうきは?ハンドルは?
ラケットは?ボールは?バットは?・・・
使いこなせている時は、身体の一部になっている
ため息をついているときは、身体を重く感じます
動き難いので、何事もやる氣が起きません
笑っている時は、身体を軽く感じます
動き易いので、さっさと行動出来ます
笑って過ごせば、活動的になれます
水中では、緊張して身体が硬くなると沈み易い
リラックスして力を抜くと浮き易い
それは、陸上でも同じでは…!?
身体に力が入っている時は、実は沈んでいる
リラックスして力を抜いている時は浮いている
従って、力を抜いている方が自在に動けます
空氣が一杯入ったタイヤは、滑らかに転がります
空氣の抜けたタイヤは、転がりが鈍くなります
氣力一杯の人は、俊敏に行動できます
氣力のない人は、行動が鈍くなります
氣力の充実が行動力を生みます
イメージトレーニングは、実際に体を動かさず
頭の中で考えて、正しい運動動作を学習すること
イメージトレーニングにも関わらず
思わず力みが生ずる時は
実際に動く時も力みが生ずる時
イメージトレーニングでも
力みがなくなると良いでしょう
「氣迫(氣魄)」は、氣力、精神力の強さですが
つい身体に置き換えてしまいがちです
表情が怖くなるとか
鼻息が荒くなるとか
肩を怒らせるとか…
氣迫は、「氣」や「心」の問題ですから
身体に置き換えなくても良いのです
本氣モードのまま、淡々と、静の状態でいれば良いのです
機敏に動ける身軽さを身に付ける方法はないでしょうか?
激しく回り続けているコマは、物に触れると素速く動きます
寝転がったコマには、そのような力はありません
身体を左右に揺らしたり、あるいはブルブル震わせたりして動かし
その動きを段々小さくしていきます
動きが小さくなって見えなくなっても
動きが続いていると決めて放っておきます
身体がふわっと軽く感じられ、動き出し易くなります
『心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず』といいます
きちんと見聞きするには、心がそこへ向かなければなりません
心が自然と向くのは、
好きな事、興味のある事、価値を感じる事などではないでしょうか
吸収力を高めるには、
何でも好きになる、興味を持つ、価値を見出すことが大切と言えそうです
良い立ち姿勢とはどんな姿勢か?
「安定感」で考えてみましょう
その場で軽く跳躍してみます
かかとで着地すると、不安定で、且つ身体に衝撃が伝わります
つま先で着地すると、安定感があり、且つ身体への衝撃が有りません
軽く跳躍してつま先で着地した後、曲がった膝を戻せば
安定した立ち姿勢になっていると言えるでしょう
心の状態と身体の動き方には、関係があります
慌てて前のめりになったり、驚いてのけ反ったり…
落ち着きが無いときは、身体の上の方から動き
姿勢が崩れる傾向にあります
心の落ち着くべき場所は、下腹といわれます
下腹に心が落ち着いている時は、下腹から動く感じになります
バランスを崩さずに動けるようになるので、怪我の予防や、
全身が一度に動く感じになるので、動きの質の向上につながります
心配、悩み、不安、怒り等、心が何かに奪われている時は
そのことで頭が一杯で
狭い世界に入り込んでいます
そんなときは、楽しめる何かをちょっとはさんでみましょう
ちょっと会話、ちょっと体操、ちょっとお菓子、 等々…
氣分が晴れて広い感覚を取り戻し
同じ物事を考えたとしても
氣軽に考えたり
良いアイデアが浮かんだりし易くなります。
人を「やる氣」にさせるのが上手な人がいます
強制的、高圧的、無理矢理ではなく
自らやりたくなるように「元氣」付けてくれます
合氣道の技は、相手を導き、投げたり抑えたりしますが
導く際は、相手が動き易いように
相手を“手伝う”、”応援する”、“鼓舞する”「氣」の流れで導きます
日常の中で人を導くのも、合氣道の技で相手を導くのも
相手の心が動くような、“暖かい”「氣」で導くのが
導き上手でしょう
自ら燃えると書いて「自燃」
他人が燃やすと書いて「他燃」
やる氣が有って、自ら積極的に取り組むのが「自燃」
やる氣は無いが、人に言われて仕方なくやるのが「他燃」
自発的が「自燃」
受動的が「他燃」
あなたはどっち?
うちわで扇ぎ続けると、腕が疲れてきますか?
腕を氣にし始めると、余計に疲れを感じます
身体を意識して動くと、無意識にも身体に力みが生じやすい
腕ではなく、風の方に意識を持って行くと、案外楽になります
動く時は、身体が動くのではなく、風が動く
物を運ぶ時は、風が運ぶ
庖丁で物を切る時は、風が切る
合氣道で相手を導くのも、風が導く・・・
色々な動作が楽になります
誰かに身体を捕まれたとき、
捕まれた所を氣にして動くと、ぶつかって上手く動けません
その時は、心が捕まれた部分にとらわれ、視野が狭くなっています
身体は捕まれていますが、心まで捕まれているわけではありません
視野をもっと広げて、心を進みたい方向に向けると
身体がついてきて、捕まれたままでも動き易くなります
護身でも、直面する問題の解決でも、
視野を広げることが、現状を打開する助けとなります
お箸で食べ物をつかもうとする時、その食べ物のお皿が遠くにあれば、
お皿を近くに寄せるか、あるいは自分がお皿に近付くかしませんか?
身体から遠いまま無理をしても、上手くつかめません
無理をして無駄な力が入ると、「氣」の流れが滞り、指先の感度が鈍ります
逆に、感度の良い範囲内で動けば、「氣」の流れは滞らず、指先を自在に動かせるし
無理がないので、身体の故障も防げるでしょう
感度の良し悪しが、身体の使い方の良し悪しを教えてくれます
「心の状態」と「息」は、密接な関係があります
試しに、心の状態を色々変えながら、「はぁ―――」と息を吐いてみます
イライラ、カリカリした心の状態で
ガッカリ、ションボリした心の状態で
セカセカ、ソワソワした心の状態で…etc.
心の状態が乱れていると、息が乱れるのがお分かりになるでしょうか?
落ち着いた心の状態を保つには、息を静かに吐くことが役立ちます
静かに、遠くに向かって「はぁ―――」と吐きます
落着きを取り戻せるし
普段からやっておくと、心の状態が乱れ難くなります
誰かに身体を抑えてもらって、歩こうとしてみます
自分の身体や相手のことを氣にしてもがくと歩き難いのですが
慌てず騒がず落ち着いて、自信を持って、心を前に向けて歩くと、歩き易くなります
身体を抑えられているということを
今自分が乗り越えるべき課題や困難に直面していると、置き換えてみましょう
前へ進んでいくには
「落ち着くこと」「自信を持つこと」「目的や目標にしっかり心を向けること」が
大切と言えそうです
身体を「ダラッ」とさせていると、体内では何が起きているか?
圧迫されますので、血液が流れ難くなったり
臓器が働き難くなったりして、体力低下のもとになります
体内の圧迫を改善するために
「ダラッ」ではなく、「フワッ」としているようにしましょう
自分が風船で、体内に空氣がパンパンに入っているイメージでも良し
自分が回転体で、外に向かって遠心力が働いているイメージでも良し
いろいろ工夫して、「フワッ」としているように心掛けてください
過去にとらわれたり、未来を憂えたりしていると
現在に心が充分に向いていません
そんな状態で物事を行っていると
心(忄)が亡くなって、忙(せわ)しさを感じるのです
「今」「ここ」に、心を向けられるようにしなくてはなりません
心身統一合氣道の稽古では、身体の向きを180度又は90度次々と変えながら
そちらにあるものが瞬時にハッキリ見えるように訓練します(八方運動)
「今」「ここ」に、心が向く習慣がついて
何事にも全力投球できるようになります
忙しさも感じなくなってきます
伸び伸びと羽を広げて優雅に空を舞う鳥
もし羽が縮まったら、上手く舞えないでしょう
私達には羽はありませんが
伸び伸びとした感覚は大切です
伸び伸びとした感覚でいれば
私達は、地上を優雅に舞うことが出来ます
自由自在に行動し易くなります
「本氣」で物事を行っているか?
「本氣」とは、身体だけを使うのではありません
「本氣」の人は、「やる氣」があります
“情熱”とか“熱意”と表現しても良いでしょう
「やる氣」があれば、疲れ知らずです
壁にぶち当たっても、突き進んで行けます
周囲の人たちの心を動かす力も持っています
物事を行うには、「氣力」と「体力」どちらも大事ですが、
合氣道の場合は、「氣力」の方が大事です
「氣力」:「体力」=10:0と言っても過言ではありません
「氣力」は実在し、相手の心を動かす力があります
「体力」偏重ではなく、「氣力」を使えるようになれば、
「全身全霊」で物事を行えるようになります
人間が与えられた本来の能力を発揮することが出来ます
箸を使いこなせるようになる前は
持ち方や動かし方が氣になって
先端を上手く使いこなせなかったと思います
それは、持つ所に「氣」が止まって、先端まで「氣」が行き難いから
同じような現象は、“強く持つ”ことによっても起きます
箸、ハサミ、包丁、筆、ラケット、バット、クラブ、剣等・・・
物を持って扱うときは、“軽く持っている”のが基本です
元氣なときは、嬉しさ、楽しさ、幸せを感じ易くなっています
そんな氣分でいると、心は積極的になります
元氣がないと、嬉しさ、楽しさ、幸せを感じ難くなっています
そんな氣分でいると、心は消極的になります
心を積極的にするには、氣分を変えなくてはなりません
それに役立つのは、会話?、食事?、旅行?、運動?、趣味?、感謝?…
やり方は人それぞれでしょうが、
工夫して、氣分を明るくするようにして下さい
卵は、横から押すと弱いが、縦に押すと強いといいます
人間も真っ直ぐ立っていると、上から負荷を掛けても結構強いものです
しかし、姿勢が悪ければ、その強さは失われます
お勧めは、「つま先立ち」
つま先立ちをすれば、足先まで身体が真っ直ぐ起きた状態になります
つま先立ちをして、そこから静かに下ります
慣れない人は何回か繰り返すと良いでしょう
試しに誰かに肩を下に押さえてもらうと
しっかりしていることに氣付くことでしょう
全力を尽くすとは
「全身全霊」で物事にあたること
「全身」だけではありません
「全霊」がくっついています
「全霊」をかみ砕いて言えば
「やる氣」があって
「心」をはっきり向けて取り組むこと
全力を尽くすには、
「氣」や「心」といった
目に見えないものが大切です
嬉しくて小躍りする
楽しくてスキップする
「嬉しい」「楽しい」という氣分が伴って
身体を動かしています
こんな時は、疲れ知らずです
集中する、継続するには、
「嬉しい」「楽しい」というような
明るい氣分が大切です
勉強であれ仕事であれ、何事を成すにも
「氣」と「心」のベストマッチがあります
氣力がなく、心は余所に向いている・・・全くものになりません
氣力がなく、心を向けている・・・疲れます
氣力はあるが、心は余所に向いている・・・集中していません
氣力があって、心が向いている・・・この状態が一番良いでしょう
氣力を充実させ、心を向けたい所に自在に向けられるようにしたいものです