心がしずまる程
細やかなものをキャッチ出来る
鳥がいる
虫がいる
草花がいる
心がしずまる程
彼らの息吹を感じる
ブログの中で、「泰然不動」「落ち着き」に関するものです。
心がしずまる程
細やかなものをキャッチ出来る
鳥がいる
虫がいる
草花がいる
心がしずまる程
彼らの息吹を感じる
怒りで興奮した声は
頭から出る
不安のか細い声は
口先から出る
落ち着いた声は
腹から出る
心の状態で
声が出る場所が違う
根を伸び伸びと張った草木はしっかりしている
それは草木だけでは無理で
地面との繋がり、一体感があればこそ!
我々も天地との繋がり、一体感があればしっかりしている
氣持ちの根を
四方八方に伸ばしてみよう!
負荷を一部で負えば大変だが
全体に分散させれば楽になる
荷を腕だけで持てば大変だが
全身で持てば楽になる
身体を飛び出して
身体の外にまで分散させれば
もっと楽になる
怒るのは
相手を良くする為?
だとしたら、相手の為で、理性的に出来るはず
自分の鬱憤晴らしの為?
だとしたら、自分の為で、感情的になりがち
誰の為に怒るのか
怒る前に自問自答すべし
大きな氣分でいると
些細なことが、氣にならなくなる
大ごとに思えそうなことが
些細なことに思えてくる
大きな氣分が
平常心を保つ助けになる
落ち着くのに深呼吸が良いと言われますが
胸やお腹に吸い入れる深呼吸では
胸やお腹に感覚が残ります
真に落ち着いた状態は
胸中や腹中に何も無いカラッとした状態です
より落ち着いた状態を得るには
胸やお腹を通り越して
さらに奥の方に吸い入れる深呼吸が良いでしょう
「氣迫(氣魄)」は、氣力、精神力の強さですが
つい身体に置き換えてしまいがちです
表情が怖くなるとか
鼻息が荒くなるとか
肩を怒らせるとか…
氣迫は、「氣」や「心」の問題ですから
身体に置き換えなくても良いのです
本氣モードのまま、淡々と、静の状態でいれば良いのです
同じような物音や言葉でも、
日によって氣にならない時と、耳障りで氣になる時があります
体調面の影響もあるかもしれません
精神的な影響もあるかもしれません
心が穏やかな時は氣にならないことも
イライラ等心が波立っている時は氣になり易いものです
周囲を責める前に、自分に要因は無いか省みる態度も必要でしょう
相手に腕をつかまれたとしましょう
その腕を動かそうともがいても、なかなか動けません
腕をつかまれたとしても
反対の腕も、胴体も、脚も、心も、つかまれてはいないのです
他に動かせるもの、他に出来る事は一杯あるのです
何事においても、とらわれずに
出来る事は一杯あるということに氣付き行動すれば
道は開けてくるのではないでしょうか
心の状態と身体の動き方には、関係があります
慌てて前のめりになったり、驚いてのけ反ったり…
落ち着きが無いときは、身体の上の方から動き
姿勢が崩れる傾向にあります
心の落ち着くべき場所は、下腹といわれます
下腹に心が落ち着いている時は、下腹から動く感じになります
バランスを崩さずに動けるようになるので、怪我の予防や、
全身が一度に動く感じになるので、動きの質の向上につながります
心の状態は、身体や身の回りに現れます
心が落ち着かない時は、身体も落ち着かず、身の回りも落ち着きません
服装や履物の乱れ、物を粗末に扱う、物を散らかす、食事の時の音、字の乱雑さetc.…
逆に、心が穏やかに静まっている時は、身体も静まり、身の回りも静まってきます
落ち着きを身に着けたければ、身の回りから変えていくのも一つの方法です
きちんとした服装をする
はき物をそろえる
物を大切にする
整理整頓をするetc.…
昔からよく言われてきたことばかりです
落ち着きを身に付ける為に、形として見えるものから躾けていったのでしょう
心配、悩み、不安、怒り等、心が何かに奪われている時は
そのことで頭が一杯で
狭い世界に入り込んでいます
そんなときは、楽しめる何かをちょっとはさんでみましょう
ちょっと会話、ちょっと体操、ちょっとお菓子、 等々…
氣分が晴れて広い感覚を取り戻し
同じ物事を考えたとしても
氣軽に考えたり
良いアイデアが浮かんだりし易くなります。
癇癪を起した人の高い声を、「癇声(かんごえ)」と言うそうです
癇声は、その人の頭の方から発せられる感じ
一方、落ち着いた人の声は、腹から発せられます
癇声は、耳障りで素直には聞きたくないもの
依頼、指示、命令、忠告、指導等を人に伝えるときは
落ち着いて、腹からの声で伝える方が良いでしょう
昔の人は、腹に心があると考えていたようで
「腹」を使った心に関する慣用句が多くあります
腹が立つ、腹の虫がおさまらない、腹に据えかねるは、
腹の中に何かしらの感覚がある状態
腹が癒える、腹の虫がおさまる、腹が据わるは
腹の中に特別な感覚はありません
腹中に何も感じないのが、落ち着いている状態と言えそうです
心身統一合氣道では、下腹の感覚のない所を「臍下の一点」と称し
そこに心が静まっている状態を「落ち着き」と説明しています
己に克つということは
己を相手とする「もう一人の自分」がいるということ
困難や誘惑に負けそうな己に対して
「もう一人の自分」が
努力を続けて困難に打ち克ったり
欲望を抑えて誘惑に克ったりします
もう一人の自分は、努力を続ける「氣力」や
周囲の状況に左右されない落ち着いた「心」の持ち主です
しっかりした「もう一人の自分」を育てたいですね
誰かに身体を捕まれたとき、
捕まれた所を氣にして動くと、ぶつかって上手く動けません
その時は、心が捕まれた部分にとらわれ、視野が狭くなっています
身体は捕まれていますが、心まで捕まれているわけではありません
視野をもっと広げて、心を進みたい方向に向けると
身体がついてきて、捕まれたままでも動き易くなります
護身でも、直面する問題の解決でも、
視野を広げることが、現状を打開する助けとなります
「心の状態」と「息」は、密接な関係があります
試しに、心の状態を色々変えながら、「はぁ―――」と息を吐いてみます
イライラ、カリカリした心の状態で
ガッカリ、ションボリした心の状態で
セカセカ、ソワソワした心の状態で…etc.
心の状態が乱れていると、息が乱れるのがお分かりになるでしょうか?
落ち着いた心の状態を保つには、息を静かに吐くことが役立ちます
静かに、遠くに向かって「はぁ―――」と吐きます
落着きを取り戻せるし
普段からやっておくと、心の状態が乱れ難くなります
誰かに身体を抑えてもらって、歩こうとしてみます
自分の身体や相手のことを氣にしてもがくと歩き難いのですが
慌てず騒がず落ち着いて、自信を持って、心を前に向けて歩くと、歩き易くなります
身体を抑えられているということを
今自分が乗り越えるべき課題や困難に直面していると、置き換えてみましょう
前へ進んでいくには
「落ち着くこと」「自信を持つこと」「目的や目標にしっかり心を向けること」が
大切と言えそうです
仏教では、苦しみの原因は「執着」にあるといわれます
物事にとらわれることによって、悩み・不安等の苦が生じるというのです
何かにとらわれているときは、視野が狭くなっているものです
広い視点で柔軟に対応することもやり難くなっているでしょう
武道にも「執着」があります
相手にとらわれると、全体が感じ取れなくなります
「氣」が四方八方に通っている状態で「心」を向けると、全体を感じ取れます
「氣」が四方八方に通い、広い感覚を持つことが、
「執着」による苦しみを取り除くことにも役立ちそうです
「執着」とは、強く心をひかれそれにとらわれること
執着が、悩みや不安、イライラ等の心の乱れを惹き起こします
執着心を改善する方法はないでしょうか?
空・山・海といった大自然に触れることによって
悩みが小さくなったり、氣が晴れてきた経験はありませんか・
その時は、大自然の雄大さに感化されて、氣分が大きくなっています
大きな氣分を持って物事をみることが、
執着を減らし心の乱れを減らすことにつながります
「我慢」は身体に良くないと言われます
我慢は、苦しみや怒りなどを感じながらも、その氣持ちを抑えること
影響を受けてから、且つ、それに耐え忍ぶ感じでしょうか・・・
根のしっかりした木は倒れないように
海面が荒れていても海底は静まりかえっているように
「心」に“深み”があれば、そもそも影響を受けずに放っておけるので
我慢する必要はありません
少々のことには影響を受けない、心の“深み”を持ちたいものです
自分は落ち着いているのか?
落ち着きがあれば、「氣」が四方八方に行き渡っており、
周りがよく感じ取れます
よく氣が付き、適切な行動ができます
感じ取れる範囲が広いかどうかで
自分が落ち着いているかどうかが判断できます