心の状態が雰囲氣に表れる
雰囲氣は周りに影響を与える
プラスの雰囲氣はプラスを惹起し
マイナスの雰囲氣はマイナスを惹起する
心の状態そして雰囲氣に
責任を持たなければならない
ブログの中で、「落ち着き」「不動心」に関するものです。
心の状態が雰囲氣に表れる
雰囲氣は周りに影響を与える
プラスの雰囲氣はプラスを惹起し
マイナスの雰囲氣はマイナスを惹起する
心の状態そして雰囲氣に
責任を持たなければならない
静かに強く回り続けているコマは
凛とした雰囲氣を持っている
止まっているコマからは
そんな雰囲氣は伝わって来ない
エネルギーの高い人は
たとえ静かにしていても
周囲に影響を与える雰囲氣を持っている
怒りで興奮した声は頭から出る
不安のか細い声は口先から出る
落ち着いた声は腹から出る
心の状態で声が出る場所が違う
落ち着いている状態を
「足が地についている」という
ジャンプして下りるとき
かかとから下りると不安定だが
爪先からおりると安定する
身体が安定すると心も落ち着く
「足が地につく」は
「“爪先”が地につく」かもしれない
肩肘のはり
首肩の疲れ、コリ
上半身の使い過ぎ、緊張状態は
上半身に意識が偏っている可能性あり
バランスの良い状態は
意識が下腹にしずまっているとき
意識が下腹にしずまっていることを確認して
ものごとを行ってみよう
身体に不調が有れば
心はそれにとらわれ自由を失い易い
悩みや心配事が有れば
心はその事にとらわれ自由を失い易い
何が有ってもそれに囚われることなく
心の自由さを保てる人は
相当な人だ
怒っている人の息はどんな息?
怖れている人の息はどんな息?
元氣のない人の息はどんな息?
心の乱れは
息の乱れとなって現れる
息を平らにすれば
心の乱れも治まってくる
普段から息を平らにする訓練をすれば
心が乱れ難くなる
怒って頭に来ている人は
周りがみえていない
自分が周りにどうみられるかが
分からない
怒ってみせられる人がいる
周りがみえている
周りがどう思うかを計算して
怒ってみせている
池に石を投げ入れれば水面は波立つが
その波はやがてしずまる
我々の心も
池の水と同じような性質を持っているとすれば
波立っても放っておけば自然にしずまる
いつまでも波立てているのは
自分自身
サラサラと流れる水は澄んでいるが、
流れの滞った水は濁ってくる
風通しの良い場の空氣は爽やかだが、
風通しの悪い場の空氣は淀んでくる。
人の氣も、何かに囚われていると
怒りや不満、不安や心配等で濁ってくる
何事にも囚われずにいれば
清々しい爽やかな氣のまま
根を伸び伸びと張った草木はしっかりしている
それは草木だけでは無理で
地面との繋がり、一体感があればこそ!
我々も天地との繋がり、一体感があればしっかりしている
氣持ちの根を
四方八方に伸ばしてみよう!
身体を縄で縛られたとする
身体を氣にする人は、心まで縛られている
身体を氣にしない人は、心は縛られていない
身に病なり逆境なりが訪れたとしても
それを氣にする人は不自由となり
氣にしない人は自由がきく
囚われない心が自由を生む
大きな氣分でいると
些細なことが、氣にならなくなる
大ごとに思えそうなことが
些細なことに思えてくる
大きな氣分が
平常心を保つ助けになる
風に吹かれざわついていた竹は
風が止めば静かになる
飛ぶ鳥の影を映していた渕は
鳥が飛び去れば何も映していない
自然はいつまでもとらわれてはいない
いつまでも、騒いだり嘆いたり拘っている人間は
どこか不自然なのかもしれない
私たちは、心と身体を持っている
もう一つ、空間を持っている
落ち着いている程、静かな空間
元氣な程、広い空間
その空間が、その人の持つ雰囲氣
良質な空間を広げましょう
波静まった水面には、鏡のように周りの様子が映ります。
人間の心も、波静まれば、周りの様子が映ります。
心が静まる程、明らかに映り、
氣が及ぶ範囲が広がる程、映る範囲が広がります。
「執着」とは、強く心がひかれて離れられないこと。
いつまでも腹を立てていたり、
いつまでも落ち込んでいたり、
いつまでも悲しんでいたり、
いつまでも浮かれていたり…
「天空海闊」という言葉があります。
度量が大きく、こだわりのないさまをいいます。
執着を脱するには、大きな氣分が役立ちそうです。
落ち着くのに深呼吸が良いと言われますが、
胸やお腹に吸い入れる深呼吸では、
胸やお腹に感覚が残ります。
真に落ち着いた状態は、
胸中や腹中に何も無いカラッとした状態です。
より落ち着いた状態を得るには、
胸やお腹を通り越して、
さらに奥の方に吸い入れる深呼吸が良いでしょう。
同じような物音や言葉でも、日によって、
氣にならない時と、耳障りで氣になる時があります。
体調面もあるかもしれません。
精神面もあるかもしれません。
心が穏やかな時は氣にならないことも、
イライラ等心が波立っている時は氣になり易いものです。
周囲を責める前に、自分に要因は無いか省みる態度も必要でしょう。
相手に腕をつかまれたとしましょう。
その腕を動かそうともがいても、なかなか動けません。
腕をつかまれたとしても、
反対の腕も、胴体も、脚も、心も、つかまれてはいないのです。
他に動かせるもの、他に出来る事は一杯あるのです。
何事においても、とらわれずに、
出来る事は一杯あるということに氣付き、行動すれば、
道は開けてくるのではないでしょうか。
心の状態と身体の動き方には、関係があります。
慌てて前のめりになったり、驚いてのけ反ったり…
落ち着きが無いときは、身体の上の方から動き
姿勢が崩れる傾向にあります。
心の落ち着くべき場所は、下腹といわれます。
下腹に心が落ち着いている時は、下腹から動く感じになります。
バランスを崩さずに動けるようになるので、怪我の予防や、
全身が一度に動く感じになるので、動きの質の向上につながります。
心の状態は、身体や身の回りに現れます。
心が落ち着かない時は、身体も落ち着かず、身の回りも落ち着きません。
服装や履物の乱れ、物を粗末に扱う、物を散らかす、食事の時の音、字の乱雑さetc.…
逆に、心が穏やかに静まっている時は、身体も静まり、身の回りも静まってきます。
落ち着きを身に着けたければ、身の回りから変えていくのも一つの方法です。
きちんとした服装をする
はき物をそろえる
物を大切にする
身の回りのせいりせいとんをするetc.…
昔から良く言われてきたことばかりです。
落ち着きを身に付ける為に、形として見えるものから躾けていったのでしょう。
他人の言動に寛容な度量の大きい人を、腹が大きいといいますが、
いくら大きくても、有限の大きさでは、いつか満杯になってしまします。
避雷針は、雷の電流を地中に放電し建物を守ります。
腹(下腹)にも、避雷針のように、
不要なものがどこかへ流れて消える回路があると考えてみましょう。
ため込まずに済み、容量は無限大となり、益々腹の大きい人になれます。
昔の人は、腹に心があると考えていたようで、
「腹」を使った心に関する慣用句が多くあります。
腹が立ったり、腹の虫がおさまらなかったり、腹に据えかねたりは、
腹の中に何かしらの感覚がある状態。
腹が癒えたり、腹の虫がおさまったり、腹が据わっていたりは、
腹の中に特別な感覚はありません。
腹中に何も感じないのが、落ち着いている状態と言えそうです。
心身統一合氣道では、下腹の感覚のない所を「臍下の一点」と称し、
そこに心が静まっている状態を、「落ち着き」と説明しています。
「己(おのれ)に克つ」といいますが、己に克つということは、
己を相手とする「もう一人の自分」がいるということ。
困難や誘惑に負けそうな己(自分)に対して、
「もう一人の自分」が、努力を続けて困難に打ち克ったり、
欲望を抑えて誘惑に克ったりします。
もう一人の自分は、努力を続ける「氣力」や、
周囲の状況に左右されない落ち着いた「心」の持ち主です。
しっかりした「もう一人の自分」を育てたいですね。
誰かに身体を捕まれたとき、
捕まれた所を氣にして動くと、相手とぶつかって上手く動けません。
その時は、捕まれた部分にとらわれ、視野が狭くなっています。
身体は捕まれていますが、心まで捕まれているわけではありません。
視野をもっと広げて、心を進みたい方向に向けると、
身体がついてきて、捕まれたままでも動き易くなります。
護身でも、直面する問題の解決でも、
視野を広げることが、現状を打開する助けとなります。
「心の状態」と「息」は、密接な関係があります。
試しに、心の状態を色々変えながら、「はぁ―――」と息を吐いてみます。
イライラ、カリカリした心の状態で。
ガッカリ、ションボリした心の状態で。
セカセカ、ソワソワした心の状態で…etc.
心の状態が乱れていると、息が乱れるのがお分かりになるでしょうか。
落ち着いた心の状態を保つには、息を静かに吐くことが役立ちます。
静かに、遠くまで通るように「はぁ―――」と吐きます。
落着きを取り戻せるし、
普段からやっておくと、心の状態が乱れ難くなります。
誰かに身体を抑えてもらって、歩こうとしてみます。
自分の身体や相手のことを氣にしてもがくと歩き難いのですが、
慌てず騒がず落ち着いて、自信を持って、心を前に向けて歩くと、歩き易くなります。
身体を抑えられているということを、
今自分が乗り越えるべき課題や困難に直面していると、置き換えてみましょう。
前へ進んでいくには、
「落ち着くこと」「自信を持つこと」「目的や目標にしっかり心を向けること」が
大切と言えそうです。
野生の生き物は、獲物を捕らえる為に、又、天敵から身を守る為に、
四方八方の氣配に氣付かなければなりません。
獲物や天敵が起因となって生じる「氣」の変化を「心」が感じ取って、
獲物を捕まえるなり、天敵から逃げるなりの行動をします。
「氣」の変化を感じ取るためには、「心」がしずまっている方が良いでしょう。
それは、野生の生き物に限らず、私たちにも言えます。
仏教では、苦しみの原因は「執着」にあるといわれます。
物事にとらわれることによって、悩み・不安等の苦が生じるというのです。
何かにとらわれているときは、視野が狭くなっているものです。
広い視点で柔軟に対応することもやり難くなっているでしょう。
武道にも「執着」があります。
相手にとらわれると、全体が感じ取れなくなります。
「氣」が四方八方に通っている状態で「心」を向けると、全体を感じ取れます。
「氣」が四方八方に通い、広い感覚を持つことが、
「執着」による苦しみを取り除くことにも役立ちそうです。
元氣な人は、些細なことは氣にしない“明るさ”があります。
周囲の物事に動じない“強さ”があります。
「清泉湧出すれば、旁水の渾入するを得ざる 」といいます。
清水が湧き出ているところには、傍らの水は入っていけません。
元氣な人からは、まるで清水のような“元氣パワー”が
あふれ出ていると考えてはどうでしょうか。
元氣を出したい人は、自分からもそういうものがあふれ出ていると
イメージするだけでも違いますよ。(^o^)
「執着」とは、強く心をひかれそれにとらわれること。
執着が、悩みや不安、イライラ等の心の乱れを惹き起こします。
執着心を改善する方法はないでしょうか。
空・山・海といった大自然に触れることによって、
悩みが小さくなったり、氣が晴れてきた経験はありませんか。
その時は、大自然の雄大さに感化されて、氣分が大きくなっています。
大きな氣分を持って物事をみることが、
執着を減らし心の乱れを減らすことにつながります。
「我慢」は身体に良くないと言われます。
我慢は、苦しみや怒りなどを感じながらも、その氣持ちを抑えること。
影響を受けてから、且つ、それに耐え忍ぶ感じでしょうか・・・
根のしっかりした木は倒れないように、
海面が荒れていても海底は静まりかえっているように、
「心」に“深み”があれば、そもそも影響を受けずに放っておけるので、
我慢する必要はありません。
少々のことには影響を受けない、心の“深み”を持ちたいものです。
「失敗」は良くないこと?
そこから何かを学び、自分の成長に繋げられれば、それはプラスになる。
「病」は良くないこと?
そこから何かに氣付き、生活習慣の改善等に繋げられれば、それもプラスになる。
一見マイナスに思えるようなことも、
上手に活かすことによって、 無駄なことはなくなってきます。
氣分の落ち込みも減らせるでしょう。
自分は落ち着いているのか?
落ち着きがあれば、「氣」が四方八方に行き渡っており、
周りがよく感じ取れます。
よく氣が付き、適切な行動ができます。
感じ取れる範囲が広いかどうかで、
自分が落ち着いているかどうかが判断できます。