ブログ カテゴリー「人との接し方」「寛裕」

ブログの中で、「人との接し方」「寛裕」に関するものです。

自立とは

自立とは

自分独りで立つこと?

人間は独りでは生きて行けない

自然の恵みは勿論

色々なものとの繋がりが有って

存在することが出来る

自立とは

色々なものとの繋がりに氣付き

感謝して生きること

氣は共有可能

元氣な人が行動すると

つられて行動してしまうことがある

元氣な人のエネルギーが

周囲に影響を与えている

氣は共有可能

自分の元氣を

相手の元氣にすることができる

人を導くには氣を出させる

氣が向く所へ向かうときは

身体を軽く感じる

人を動かす時は

力技で動かすのではなく

本人が行きたくなるように

やりたくなるように

氣を出させてあげることに

考慮すべき

意識を通せば一つに

お箸を使うときは

先端を動かすため

先端に意識が通っている

ヨチヨチ歩きの子の手を取って歩かせるときは

足元に氣をつければ

足元まで意識が通っている

物や相手に意識を通せば

そのものと一つになった感覚になる

心が雰囲氣に表れる

心の状態が雰囲氣に表れる

雰囲氣は周りに影響を与える

プラスの雰囲氣はプラスを惹起し

マイナスの雰囲氣はマイナスを惹起する

心の状態そして雰囲氣に

責任を持たなければならない

氣は影響する

子どもを見守る

子どもに安心感を与えている

“元氣玉“の子どもからは

元氣をもらっている

氣は知らぬ間に

相手に影響を与えている

雰囲氣をみる

心の状態で氣が変わる

心が動けば氣が動く

だから相手の雰囲氣をみる

雰囲氣をみれば

相手の心の状態や変化に氣付き易い

護身にも役立つ

氣配りにも役立つ

思い遣りにも役立つ

適度な見方

「木を見て森を見ず」という

一生懸命見よう見ようとすれば

そこだけしか見えなくなる

心を対象に向け

広く全体を感じ取れるように

眺めている位が丁度良い

自動詞の発想で自由に

相手を○○しようは他動詞

他動詞の発想は相対的になりがち

視野が狭くなり不自由になる

自分が○○するは自動詞

自動詞の発想は相手に囚われていない

視野を広く保つことが出来

自由でいられる

言動をみる心をみる

心が身体を動かしている

心で思ったことが言葉に出る行動に出る

相手を理解する為には

何故そう言うのかそうするのか

心に焦点を当てる必要がある

雰囲氣と人生

人を引き付ける魅力のある人は

人を引き付ける雰囲氣がある

人を引き付ける魅力のある人は

運やチャンスを引き寄せる

雰囲氣が変われば

人生が変わる

ワンネス

幸せな家庭ってどんな家庭

みんなが笑顔みんなが一つ

幸せな社会ってどんな社会

みんなが笑顔みんなが一つ

幸せな世界ってどんな世界

すべてが笑顔すべてが一つ

氣が通うと感じる

お箸もペンも

自然と先端が感じられるのは何故か?

知らぬ間に

お箸やペンに氣が通っている

大切な人々に対しても

氣が通っていれば

自然と相手のことを感じ取れる

言葉を理解・心を理解

言葉は曖昧なもの

「好き」にもいろいろ…程度がある

「出来る」にもいろいろ…度合がある

「やる」にもいろいろ…本氣度が違う

言葉を理解するのではなく

心を理解しなければならない

「見る」とは?

人と接するときに「見る」とは、

視覚で捉えられるものを認識するだけではない

視覚+相手の心を感じ取ることが大切

そうすれば、

相手を理解することが出来る

相手を氣遣うことが出来る

護身にもつながる

氣を合わせる

石と石はぶつかり合う

水と水は混ざり合う

身体と身体はぶつかり合うが

氣と氣は合流し一つになることが出来る

人を導くときは

氣を合わせると導き易い

澄んだ心・澄んだ身体

澄んだ心には

相手を思い通りにしようという我がない

済んだ身体には

相手を支配しようとする力みがない

澄んだ心と澄んだ身体で相手を受け入れると

相手とより氣が通い

相手をより良く理解することが出来る

相手の立場に立つ

人に物事を頼む際は、

「相手の立場に立って」頼む方が良いでしょう。

物理的に無理な場合や、

他の事をやっている最中では、

相手は心よく動いてはくれません。

心身統一合氣道では、相手を導く際に、

「相手の立場に立って」導きます。

例えば、相手の横に並び、相手と同じ向きに向いてから導きます。

相手をより良く理解し尊重して導く習慣に役立ちます。

心の応援力

人の応援が力となって

能力を発揮出来ることがある

心の応援は

人に力を与えることが出来る

心には力がある

剣や人との接し方

剣は

自分の思いに従わせようと硬く接すると

氣のない死んだ剣になる

動きを応援する氣持ちで柔らかく接すると

氣のある生きた剣になる

それは人との接し方にも通じるのではないか

明るさをみる

懐中電灯の明かりが暗いので

電池を変えたら明るくなった

表情が暗いので

○○したら明るくなった

○○は人それぞれ

○○によって「氣」が出てくれば

表情は明るくなる

相手の「氣」をみて

「氣」が出る手助けをしてあげるのも

愛情の一つ

誰のために怒る

怒るのは

相手を良くする為?

だとしたら、相手の為で、理性的に出来るはず

自分の鬱憤晴らしの為?

だとしたら、自分の為で、感情的になりがち

誰の為に怒るのか、

怒る前に自問自答すべし

氣のない言動・氣のある言動

氣のない返事

氣のない言葉

氣のない態度…

それらは、

誠意、熱意、思い遣り、本氣度等…

有るべきものが無い

来るべきものが来ない感じ

「氣」があってこそ

相手の心に伝わる言動になる

相手の立場に立って導く

指示をして相手がそれに従ったとしても

相手が納得していなければ

上手く導けたとは言えない

相手の立場や考えを尊重して

相手が納得した上で行動させることが出来れば

上手に導けたと言える

相手の立場に立つ心が

あるかないかで大違い

空間を持っている

私たちは、心と身体を持っている

もう一つ、空間を持っている

落ち着いている程、静かな空間

元氣な程、広い空間

その空間が、その人の持つ雰囲氣

良質な空間を広げましょう

開けば柔らかく

つぼみは閉じている

花は開いている

つぼみは硬いイメージ

花は柔らかいイメージ

人間も、心身を閉ざしていれば、硬い印象になる

心身を開いていれば、柔らかい印象になる。

心身を開く、そして開かせる工夫を!

「氣」は干天の慈雨

氣を向けて話を聞いてあげれば、相手は安心する。

氣を向けて世話をしてあげれば、相手は癒される。

「氣」は相手の心身に入り込み、柔らかく解してくれる。

干天時の乾いた土は固いが、

雨天後の湿った土は柔らかくなる。

「氣」はまるで、干天の慈雨のよう。

心身を開いてリラックス

泳ぎの苦手な人は、緊張して身体が硬くなっています。

水に対して、心身を閉じています。

陸上でも、緊張して身体を硬くしている人がいます。

周囲に対して、心身を閉じています。

心身を閉じることが、緊張につながります。

心身を開くことが、リラックスにつながります。

応援はタイミング良く

合氣道で相手を導く際に、

相手の氣の動きにこちらの氣を足して

相手が行きたい方向へ行かせるやり方があります。

タイミング良く出来れば良いのですが、

タイミングが遅れたり、方向がずれていると、上手く導けません。

人を応援したり手伝ったりする時も、

相手がやろうと心が動く時にタイミング良く、

相手の氣持ちに添うものであると良いでしょう。

相手の立場に立って判断

自分が見ている景色と、相手が見ている景色は違います。

見ているものが違えば、

氣付くことや、それに基づく判断も違ってきます。

自分目線だけで判断せず、

相手の立場に立って、

相手目線で見た景色も想像することが、

より正確な判断をすることに役立ちます。

吸収力を高めるには

『心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず』といいます。

きちんと見聞きするには、心がそこへ向かなければなりません。

心が自然と向くのは、

好きな事、興味のある事、価値を感じる事などではないでしょうか。

吸収力を高めるには、

何でも好きになる、興味を持つ、価値を見出すことが大切と言えそうです。

うるさいのは人のせい?

同じような物音や言葉でも、日によって、

氣にならない時と、耳障りで氣になる時があります。

体調面もあるかもしれません。

精神面もあるかもしれません。

心が穏やかな時は氣にならないことも、

イライラ等心が波立っている時は氣になり易いものです。

周囲を責める前に、自分に要因は無いか省みる態度も必要でしょう。

鏡の関係

合氣道で、相手を投げようとして硬く接すると、相手も緊張して硬くなります。

相手を優しく導くつもりで柔らかく接すると、相手は緊張せず柔らかいままです。

自分と相手は、鏡のような関係になるようです。

人に意地悪をすれば、相手も意地悪をする。

人に親切にすれば、相手も親切にしてくれる。

人に冷たくすれば、相手も冷たくなる。

人を大切にすれば、相手も大切にしてくれる。…

先ずは自分から、良き接し方をしたいですね。

勝負事は感謝の心で

勝負事には、勝ち負けがあります。

勝てば嬉しい、負ければ悔しい。

では、勝負する相手が失敗したり怪我をしたりしたら…嬉しい?

勝ちにこだわるのなら、嬉しいかもしれません。

相手がいるから、試合が出来る。

日頃の練習の成果を発揮することが出来る。

自分の実力を試すことが出来る。

感謝の氣持ちがあれば、嬉しがってはいないでしょう。

言葉を聞く・心を聞く

「痛い!」「やめて~!」「助けてくれ~!」

どんなシーンを想像しましたか?

バイオレンスなシーンですか?

実は、私が子供とプロレスごっこをしているシーンです。

心の中は楽しんでいます。

「言葉」の字面と、言葉を発した人の「心」は、異なる場合があります。

「言葉」は、「心」を伝える道具に過ぎません。

人の話を聞くときは、「言葉」を聞くのではなく、

その人の「心」を聞くことが大切でしょう。

腹からの声で伝える

癇癪を起した人の高い声を、「癇声(かんごえ)」と言うそうです。

癇声は、その人の頭の方から発せられる感じ。

一方、落ち着いた人の声は、腹から発せられます。

癇声は、耳障りで素直には聞きたくないもの。

依頼、指示、命令、忠告、指導等を人に伝えるときは、

落ち着いて、腹からの声で伝える方が良いでしょう。

思いは人それぞれ

ウソは?…良くない

素直なのは?…良いこと

間違いは?…許されない

「そうだ」と思った人もいれば、「違う」と思った人もいるでしょう。

そう!「物事に対する思いは、人それぞれ」

「物事に対する思いは、人それぞれ」と知っているだけで、

より寛容の人になれるのではないでしょうか。

導き上手

人を「やる氣」にさせるのが上手な人がいます。

強制的、高圧的、無理矢理ではなく、

自らやりたくなるように、「元氣」付けてくれます。

合氣道の技は、相手を導き、投げたり抑えたりしますが、

導く際は、相手が動き易いように、

相手を“手伝う”、”応援する”、“鼓舞する”「氣」の流れで導きます。

日常の中で人を導くのも、合氣道の技で相手を導くのも、

相手の心が動くような、“暖かい”「氣」で導くのが、導き上手です。

避雷針のある腹

他人の言動に寛容な度量の大きい人を、腹が大きいといいますが、

いくら大きくても、有限の大きさでは、いつか満杯になってしまします。

避雷針は、雷の電流を地中に放電し建物を守ります。

腹(下腹)にも、避雷針のように、

不要なものがどこかへ流れて消える回路があると考えてみましょう。

ため込まずに済み、容量は無限大となり、益々腹の大きい人になれます。

仏になる!?

仏像の背後にある後光(光背)は、

仏の光明、即ち、慈悲や智慧を表しているとのこと。

仏の光明は、あまねく世界を照らしているそうです。

自分の心身からも、そのような光が出ていると思ってみては如何でしょう。

もちろん、慈悲や智慧の心を以て。

実は、心身統一合氣道の教えは、

「万有を愛護し、万物を育成する天地の心を以て、」

「氣を(天地の果てまで)出す」という教えなのです。

似ていませんか?(^_^;)

「氣」の風

風にも色々あります。

心を和ませる優しい風

心を閉ざさせる荒々しい風

氣持ち良くさせてくれる爽やかな風

心身を緊張させる冷たい風…

「風」を、その人が発する「氣」と置き換えてみましょう。

心の状態で、その人が起こす「氣」の風が変わります。

それが、「雰囲氣」となります。

周囲に良い影響を与える「氣」の風を出していたいですね。

心理的壁を取り除く

子供が無邪氣にじゃれ合っています。

同じ事を大人が真似しようとしたら・・・

どこか氣恥ずかしくてやりにくいのではないでしょうか。

何かしらの心理的壁を作ってしまいます。

壁があると、相手との一体感は出てきません。

挨拶や握手でも、心理的壁があれば、どこかよそよそしい。

壁がなければ、氣持ちが通じ合い、一体感が生まれます。

「氣」がよく交流するには、心理的な壁を取り除くことが必要です。

日常に活かせる稽古を

武道では、相手の心の動きに素早く氣付き、

適切な行動が取れるように稽古します。

「相手の心の動きに素早く氣付き、適切な行動が取れる」は、

日常生活にも役立ちます。例えば、

相手が欲しい物を察して、サッと渡してあげられる等、

良く氣が利く人になれます。

日常に活かせることを稽古してこそ、稽古の意味があります。

物を渡すときの心の向き

相手に何か物を渡すとします。

何処に心が向きますか?

物を持つ自分の手元ですか?

渡す物ですか?

受け取る相手の手元ですか?

挨拶したり会話したりするときは、

相手の顔の方に心が向いていると思います。

物を渡す時も、相手の顔の方に心を向けて渡した方が、

相手にきちんと氣持ちが伝わります。

大きな氣持ちと争いの心

孫悟空は、お釈迦様と智慧比べをしようとして、

筋斗雲に乗って全力で飛んで行きますが、

お釈迦様の手のひらから抜け出すことは出来なかったそうですね。

孫悟空は争っていますが、お釈迦様は争っていません。

大きな氣持ちで孫悟空を包み込んでいます。

私たちもお釈迦様を見習って、大きな氣持ちで相手を包み、

争いの心をなくしていきたいものです。

相手の「心」を導く

合氣道は、相手を導きます。

導く際に、相手の何を対象とするか?

「身体」を対象にすると、こちらも「身体」を使って力で動かしたくなります。

「心」を対象にすると、こちらも「心」を使い「氣」を使って

相手が動きやすいように、“配慮”して導きます。

何事においても人を導く際は、相手の「心」に対して、

「心」や「氣」を使って、“配慮”しながら導く方が良いでしょう。

相手の「心」に渡す

相手に何か物を渡すときは、

相手の手に渡すのではありません。

相手の心に渡すのです。

相手の心がちゃんと持ったことを確認して渡せば、

相手はキチンと渡された感じがして、氣持ち良いものです。

物を誤って落とすこともありません。

暖かい雰囲氣

優しく穏やかな人は、包み込むような“暖かい”「雰囲氣」があります。

一方、攻撃的な人は、突き刺すような“冷たい”「雰囲氣」があります。

「雰囲氣」は実在し、

その人の「心」の状態によって変わり、

相手に影響を与えるものと考えられます。

“暖かい”「雰囲氣」は、相手の心を開き、癒す力があります。

“暖かい”「雰囲氣」を発せられる人になりたいものです。

氣持ちで包み込む

寝ている子を、起こさないように静かに抱き起こして

寝床に運ぶシーンを想像してください。

子の身体全体を運ぶ為に、どこかにぶつけないようにする為に、

氣持ちは子を包み込んでいませんか?

「氣持ちで包み込む」

これは、介護の場面等にも役立ちます。

人を、“癒やす”ことにも役立ちます。

目付きと「氣」

穏やかに眺めているときは、周囲を感じ取れますが、

にらんだときは、にらんだ方向しか見えなくなっています。

このときに「氣」は…

穏やかに眺めているときは、氣が四方八方に通った状態にありますが、

にらんだときは、氣が通わない状態にあります。

氣が四方八方に通った状態だからこそ、“氣付き”や“氣配り”ができます。

車の運転、護身、接客等々…日常の様々な場面に関係しますので、

普段から穏やかに眺めるような眼差しをしている方が良いでしょう。

優しい氣持ちの伴う手

お孫さんの身体を優しく撫でるお祖父さん・お祖母さんの手。

子供を優しく抱っこするお父さん・お母さんの手。

ロボットの手には真似できない。

それは、人間の手が単なる“物”ではないから。

優しい氣持ちが伴っています。

優しい氣持ちが伴う手は、人を癒し、元氣付ける力があります。

人間に与えられたこの能力を、充分に活かしたいものです。

氣が通う握手

草取りをする時、葉だけがちぎれて根が残ることがあります。

心を根に向けて、根を感じながら抜くと、根まで抜き易くなります。

これを、根に氣を通わせるといいます。

握手する時は、相手に心を向けて、相手のことを感じながらすると、

氣持ちの通う握手になります。

氣付く力

武道では、相手が何かしようとしてくる時、それに素早く氣付くことが大切です。

氣付いて、危険を回避したり、相手を制したりします。

その氣付く力は、日常生活でも役に立ちます。

相手は元氣なのか元氣がないのか・・・。

知り合いであれば、何か普段と違う感じはないか・・・。

相手の心や氣の状態を感じて、その人に対して適切な対応をとることが出来ます。

武道を学ぶ者は、よく氣付き、

思いやりのある行動がとれる人間になりたいものです。