箸は動かす対象か
自転車は操る対象か
使いこなせるようになれば
物にも神経が通ったようになり
自分と物とが一体化している
もう対象物ではなくなっている
箸は動かす対象か
自転車は操る対象か
使いこなせるようになれば
物にも神経が通ったようになり
自分と物とが一体化している
もう対象物ではなくなっている
コマが激しく回れば
遠心力が働き
四方八方へ引っ張られ安定する
我々も四方八方とつながっていると思えば
安定できる
明るい空氣
楽しい空氣
居心地の良い空氣
人の心がその場の空氣をつくる
心には空氣を変える力がある
心がしずまる程
細やかなものをキャッチ出来る
鳥がいる
虫がいる
草花がいる
心がしずまる程
彼らの息吹を感じる
風に乗る
風と一体化
波に乗る
波と一体化
我は風なり
我は波なり
大きなエネルギーとなっている
人前で話す時
下を向いて原稿を読みながらでは
聞く人に氣が届かない
顔を起こし
全体の雰囲氣を感じながら話せれば
氣のキャッチボールが出来る
氣のキャッチボールがあった方が
聞く方も満足
伝える方も満足
おりの中育ちの動物は
大地を知らない
水槽の中育ちの魚は
大海を知らない
かごの中育ちの鳥は
大空を知らない
広い世界を知っている生き物の方が
生き生きとしてみえるのはなぜか
爽やかな風は心地良い
心が開く
リラックスさせてくれる
石粒混じりの風は痛い
心を閉ざす
身構えてしまう
「氣」は爽やかな風
「力」は石粒混じりの風
機械化が進んで
機械が人の手に取って代わっているが
機械ではマネが出来ないことがある
それは心を使うこと
おにぎりを握る
愛情を込めて
赤ちゃんの口に食べ物を運ぶ
優しさをもって
体調の悪い人に手を添える
思いやりをもって
心が伴う動きは
機械ではマネ出来ない
自分が正しいのか正しくないのか?
相手目線で見ればどうなのか?
第3者目線で見ればどうなのか?
世界目線で見ればどうなのか?
未来目線で見ればどうなのか?…
広い視点で見たほうが
正しきに近づくのではないか
相手にこちらの意図が通じない
相手の理解力がないから?
相手の立場になってみる
相手が理解し難い伝え方なのかもしれない…
相手が今理解する状況にないのかもしれない…
相手目線を持つと
相手に伝わり易くなる
自分目線しか持たないと
自分勝手な言動をして
相手と衝突したり
相手を傷付けたりすることがある
心身統一合氣道では相手の氣を感じて
相手を尊重して導く稽古をする
言わば相手目線を持つことで
相手と調和することが出来る
機嫌の良い時
他人の笑顔を見ればこちらも嬉しくなる
機嫌の悪い時
他人の笑顔を見ても快く思えない
心次第で見え方が違う
心次第で毎日が変わる
子を抱っこする
おんぶする
ただ物理的に持つだけではない
大事なものを守ろうとする
空氣が存在する
自立とは
自分独りで立つこと?
人間は独りでは生きて行けない
自然の恵みは勿論
様々なものとの繋がりが有って
存在することが出来る
自立とは
色々なものとの繋がりに氣付き
感謝して生きること
子に触れる母の手
子からは
呼吸が伝わる
鼓動が伝わる
心の状態が伝わる
氣を送り込めば
微細なものが伝わって来る
やるべきことが次々ある
心の切り替えの上手な人は
ことの始めからそのことに集中している
心の切り替えの下手な人は
しばらく経ってから集中し始める
取り組み始めの差の積み重ねが
大きな差となって現れる
心が先に行って歩んでいる
先行く心が
迷っていたり何かに囚われていては
前へ進む力は弱まる
先行く心が
ハッキリと目標に向かっていれば
前へ進む力は強まる
元氣な人が行動すると
つられて行動してしまうことがある
元氣な人のエネルギーが
周囲に影響を与えている
氣は共有可能
自分の元氣を
相手の元氣にすることができる
氣が向く所へ向かうときは
身体を軽く感じる
人を動かす時は
力技で動かすのではなく
本人が行きたくなるように
やりたくなるように
氣を出させてあげることに
考慮すべき
お箸を使うときは
先端を動かすため
先端に意識が通っている
ヨチヨチ歩きの子の手を取って歩かせるときは
足元に氣をつければ
足元まで意識が通っている
物や相手に意識を通せば
そのものと一つになった感覚になる
おにぎりを握る
力を込めて
お米の状態がよく伝わって来ない
お米を握りつぶしているかもしれない
おにぎりをにぎる
氣持ちを込めて
お米の状態がよく伝わって来る
優しくふっくらと握れる
氣持ちを込めれば
込めた相手の状態が
良く伝わって来る
雰囲氣として伝わる氣
氣配として伝わる氣…
心の状態を伝える媒体として
氣が存在する
元氣がある元氣がない
やる氣があるやる氣がない
活氣がある活氣がない…
心が積極的な程
ハッキリとした氣が伝わって来る
「全身全霊」とは
体力と精神力の全てだが
全身に力を入れることではない
剣は力を入れては斬れない
力に頼らず念で斬る
全身に氣が通っていれば
全身が動くというだけのこと
全身全霊は
全身0対全霊10位がちょうど良い
身体を強くすれば体力UP
氣を強くすれば氣力UP
では氣を強くするにはどうすれば良いのか?
やるのかやらないのか
行くのか行かないのか
話すのか話さないのか…
心を明確に使う方が氣がハッキリ動く
心を明確に使うことで
氣力を高めることが出来る
不自然な姿勢は無理がある
無理があるから長く続かない
正しい姿勢は無理がない
無理がないから長く続く
姿勢は
物事を長く行う為の基本
心の状態が雰囲氣に表れる
雰囲氣は周りに影響を与える
プラスの雰囲氣はプラスを惹起し
マイナスの雰囲氣はマイナスを惹起する
心の状態そして雰囲氣に
責任を持たなければならない
元氣を出す
やる氣を出す
本氣を出す
勇氣を出す…
“出す”とは、何を、どうやって?
元氣な人、やる氣のある人は
明るくみえる
輝いてみえる
大きくみえる
まるで光の如く四方八方に
自然に出ているものが存在する
念が先行すると
それが追い風となり
大きな助けとなる
成るか成らぬかには
念をはっきり起こすか否かが
大きく影響する
空氣・水・食べ物・熱など…
我々は外界と交流して生きている
それら以外に外界の「氣」とも
我々は交流している
「氣」を含め外界が
我々を生かしてくれている
氣配りをして子どもを見守る
子どもに安心感を与えている
“元氣玉“の子どもからは
元氣をもらっている
氣は知らぬ間に
相手に影響を与えている
人はやりたくないものはやりたくない
やりたいと思えば
放っといたってやる
「よく学びよく遊べ」は
学びも楽し遊びも楽しであれば
自然に「よく学びよく遊ぶ」になる
静かに強く回り続けているコマは
凛とした雰囲氣を持っている
止まっているコマからは
そんな雰囲氣は伝わって来ない
エネルギーの高い人は
たとえ静かにしていても
周囲に影響を与える雰囲氣を持っている
他人と比べていれば
状況や結果によって一喜一憂し易い
我々は皆
それぞれ与えられた使命がある
オンリーワンの存在
皆使命が違うと思えば
他人と比べて一喜一憂することはない
○○(食べ物)が嫌い
美味しくなかったから
△△(勉強や運動など)が苦手
上手く出来なかったから
美味しくない上手く出来ないは
体験によって○○や△△に貼られたレッテル
そのレッテルにより
○○や△△を避けるようになってはもったいない
レッテルは貼り変えることが出来る
レッテルを貼り変えれば
接し方が変わってくる
呼氣はその時肺の中にある空氣を出すだけではない
肺には全身から二酸化炭素が回収されて戻って来る
戻ってくるものも次々出ると思えば
もう少し長く吐ける
長めに吐けるということは
血流が良いと思って良いのでは
吐き辛いということは
血流が妨げられているのではないか
失敗は悪いことか?
現状把握が出来る
自分に不足しているものに氣付ける
努力目標が出来る
そう捉えられれば
悪いことではない
心の状態で氣が変わる
心が動けば氣が動く
だから相手の雰囲氣をみる
雰囲氣をみれば
相手の心の状態や変化に氣付き易い
護身にも役立つ
氣配りにも役立つ
思い遣りにも役立つ
「木を見て森を見ず」という
一生懸命見よう見ようとすれば
そこだけしか見えなくなる
心を対象に向け
広く全体を感じ取れるように
眺めている位が丁度良い
あそこが痛いここが痛いなど
身体のどこかが氣になるようでは
全力は発揮できない
手がどう脚がどうなど
身体のどこかを氣にしながらでは
全力は発揮できない
身体が意識から消えているときが
本氣で物事を行っているとき
全力を発揮できるとき
相手を動かそうは他動詞
他動詞の発想は相対的になりがち
視野が狭くなり不自由になる
自分が動くは自動詞
自動詞の発想は相手に囚われていない
視野を広く保つことが出来
自由でいられる
全身の細胞に届けたい酸素
全身の細胞から回収したい二酸化炭素
呼吸は外界と肺とのやり取りだけではない
肺から先も大切
肺から先の循環も呼吸の一部
調子の良くないときは
身体を重く感じる
調子の良いときは
身体を軽く感じる
まるで空氣のように軽くなって
周りの空氣と同化すれば
おおらかに振舞える
空・海・山等の
広大な自然を眺めていると
氣持ちが大きくなる
氣持ちが大きくなると
心配や動揺が少なくなる
大きな氣持ちでいることが
明るく生きる助けになる
怒りで興奮した声は
頭から出る
不安のか細い声は
口先から出る
落ち着いた声は
腹から出る
心の状態で
声が出る場所が違う
心ここに在らざれば
視れども見えず
聴けども聞こえず
何かをするときに心がそこになければ
時間を無駄に過ごしているようなもの
落ち着いている状態を
「足が地についている」という
ジャンプして下りるとき
かかとから下りると不安定だが
爪先からおりると安定する
身体が安定すると心も落ち着く
「足が地につく」は
「“爪先”が地につく」かもしれない
氣力が萎えると
元氣が無くなるやる氣が失せる
氣力が充実すると
元氣が出るやる氣が起きる
氣力が人を積極的にさせ
充実した人生を送る源となる
我々は大自然の一部の存在
大自然の理に則って生きるのが生き易いはず
自然ではない「不自然」
理に合わない「無理」に
氣付ける智慧を身に着けたい
心が身体を動かしている
心で思ったことが言葉に出る行動に出る
相手を理解する為には
何故そう言うのかそうするのか
心に焦点を当てる必要がある
肩肘のはり
首肩の疲れ、コリ
上半身の使い過ぎ、緊張状態は
上半身に意識が偏っている可能性あり
バランスの良い状態は
意識が下腹にしずまっているとき
意識が下腹にしずまっていることを確認して
ものごとを行ってみよう
自分の能力が何倍にも増えたら…
自分に掛かる負荷が何分の一にも減ったら…
とても楽になるに違いない
そのポイントが「氣分」にある
大きな氣分でいたら
自分の能力が何倍にも増え
自分に掛かる負荷が何分の一にも減る
身体に不調が有れば
心はそれにとらわれ自由を失い易い
悩みや心配事が有れば
心はその事にとらわれ自由を失い易い
何が有ってもそれに囚われることなく
心の自由さを保てる人は
相当な人だ
草取りをするとき
地中の根まで氣持ちを向けると、丸ごと抜き易い
根を感じ、根と繋がり一体となって動く
小さな子等の手をとって歩くときも
同じことをしている
相手を感じ、相手と繋がり一体となって動く
触れるときは
心でそのもの全体を感じながら触れると良い
剣で斬ったり突いたり払ったり
身体の力でそれらをやれば
力んだ動きとなる
心で追い風を吹かし
それに乗って動けば
無駄な力が抜け
氣剣一致の動作となる
ただ生きるだけではつまらない
自分がいることで
自分が為すことで
助かる人がいる
喜ぶ人がいる
幸せになる人がいる
そんな存在として
生きて行きたい
自分で感じる身体の重みは変わらないものか?
楽しい所へ行くときは身体を軽く感じる
無駄な力みを取れば軽く動ける
自分の心身を見直せば重みは変わり得る
一生付き合う身体だから
当たり前を疑ってみよう
もっと軽くなるかもしれない
子どもには大きく育って欲しい
身体だけではなく
氣持ちが!
氣持ちの大きさが
困難を乗り越えて行く力となる
合氣道は稽古を通じて
氣持ちの大きさを磨いている
元氣が無いと
心を次のことへ向けられない
一つところに止まってしまう
元氣が有れば
心を次へ次へと向けて行ける
氣は心を円滑に動かす
潤滑剤のようなもの
自然環境に適応して生物は進化してきた
環境が違ったなら
違う進化をしたかもしれない
違う生物が残ったかもしれない
何故、大自然は
人類を誕生させ、生かしているのか?
その想いに応える行動をすべきでは
ダラッと頭や腕を垂らすと
首や肩に負担がかかる
ダラッと猫背になると
お腹が圧迫され、腰に負担がかかる
ダラッとしているのは
楽をしているようで楽をしていない
身体全体の各部位が
どこにも負担をかけず
フワッと浮いているようでなければならない
人を引き付ける魅力のある人は
人を引き付ける雰囲氣がある
人を引き付ける雰囲氣がある人は
運やチャンスを引き寄せる
雰囲氣が変われば
人生が変わる
周囲への氣遣いが出来るということは
周囲の物事によく氣がつくということ
それは護身への第一歩
身を守ることにもつながる
猫背を防ぐために
背筋を伸ばせという
胸を張れ、顎を引けという
でも意識し過ぎると
力が入って疲れてしまう
身体を風船と考えて
空氣が一杯入っている状態にしよう
そうすれば
身体が起きていて
身体の潰れが無くなり体内が広がり
身体の各部位への負担が減ってくる
怒っている人の息はどんな息?
怖れている人の息はどんな息?
元氣のない人の息はどんな息?
心の乱れは
息の乱れとなって現れる
息を平らにすれば
心の乱れも治まってくる
普段から息を平らにする訓練をすれば
心が乱れ難くなる
怒って頭に来ている人は
周りがみえていない
自分が周りにどうみられるかが
分からない
怒ってみせられる人がいる
周りがみえている
周りがどう思うかを計算して
怒ってみせている
身の回りの整理・整頓をすることは
身の回りに氣を配ること
身の回りに氣を配ることが出来れば
身の回りの危険を察知して
危険を回避することができる
整理・整頓は
護身にもつながる
腕を使う時
腕を動かすから疲れる
脚を使う時
脚を動かすから疲れる
腕や脚が勝手に動くようでなければならない
そのためには
心が外に向き
身体を忘れているようでなければならない
幸せな家庭ってどんな家庭
みんなが笑顔みんながつながっている
幸せな社会ってどんな社会
みんなが笑顔みんながつながっている
幸せな世界ってどんな世界
すべてが笑顔すべてがつながっている
激しく回るコマは
遠心力が働いてしっかりしている
私達にも自分を中心に
遠心力が働いていると考えてみよう
そう思えば遠心力で
目線が上がる
心が外に向く
氣分が伸び伸びする
元氣が出てくる
腕だけや上半身だけ等
部分だけを使っていては力を発揮できない
上手な人は全身を使っている
さらに上手な人は
氣迫とか迫力とか言われるものが伴っている
能力の高い順を整理すると
動くのは
部分<全身<全体
「全身全霊」と言うが
「身」と「霊」は五分五分なのか?
身体に力を入れて動くより
「やる氣」を持って動く方が
集中し長く出来る
「全身全霊」は
「身」よりも「霊」を重視すべき
力を抜けば
身体は重くなる?軽くなる?
「くたびれた~」と思って
氣力が無くなりダラッとすれば
身体は重くなる
「さあ行くぞ!」と思って
氣力一杯ですぐに動ける姿勢になれば
身体は軽くなる
「氣」の有無によって
身体の重い軽いは変わる
回転数の多いコマは
物に当たっても安定して回り続ける
回転数の少ないコマは
物に当たるとふらつく
回転していないコマは
ゴロゴロ転がるだけ
人間にもこの回転に相当するものが備わっていれば
しっかりするはず
元氣のない時は
狭い感覚になっている
元氣になりたければ
広い感覚にしよう
散歩に出掛けるも良し
空を眺めるも良し
自分は無限大の宇宙の中にいるということを
思い出すも良し
この世界は愛で満たされた空間であるとする
その愛は心に伴って動く
愛情をいっぱい受けて育てられたということは
周囲の人が
心をいっぱい向けてくれたということ
進む方向へ心をはっきり使って歩けば
身体は安定ししっかりする
心なく歩けば
身体は不安定になる
何事を行うにも
心をはっきり使うことで
動きの質は上がる
愛情は感じられるが
愛情そのものを見ることは出来ない
優しさは感じられるが
優しさそのものを見ることは出来ない
愛情や優しさは
目に見えない「氣」の動きとして伝わる
「ワッハッハッ…」
笑うときは息を吐いている
「はぁ~っ」
ため息をつくときは息が漏れている
吐くのと漏れるのとでは
出る息の量が違う
出る息の量が違えば
入る息の量も違ってくる
笑って過ごすほうが
健康に良さそう!
元氣があれば心が外に向き
外界が存在する
元氣がないと心が内に向き
外界が無くなる
外界があるかないかが
元氣のバロメーター
優しい言葉があるから優しいのか?
優しい行いがあるから優しいのか?
言葉や行いがなくとも
優しさを感じることがある
「氣」でその人の優しさが伝わって来る
池に石を投げ入れれば水面は波立つが
その波はやがてしずまる
我々の心も
池の水と同じような性質を持っているとすれば
波立っても放っておけば自然にしずまる
いつまでも波立てているのは
自分自身
どう過ごそうとも時間は過ぎていく
散漫な状態でいれば
中身が薄くなる
集中した状態でいれば
中身が濃くなる
集中して過ごすことが
濃い一日、濃い一年、濃い一生につながる
自然の中に身を置いて
全体を全身で感じ取る
あらゆるものが動いている
大自然は常に生々流転している
悩みや不安に囚われて
立ち止まっている自分が
どこか不自然に思われる
お箸もペンも
自然と先端が感じられるのは何故か?
知らぬ間に
お箸やペンに氣が通っている
大切な人々に対しても
氣が通っていれば
自然と相手のことを感じ取れる
理想と現実にはズレがある
ズレを周囲の所為と考えれば
不平・不満・文句が出てくる
自分の所為と考えれば
工夫・改善・努力など行動する
そして
自分一人では出来ないことがあることに氣付き
感謝の心が湧いてくる
得意なこと
出来ること
続けられることは皆違う
違う者同士が協力し合って
我々は社会を営んでいる
自分は○○が苦手
△△が出来ない
□□のセンスが無い
誰がそんなことを決めたのか?
一度や二度の経験で
周囲の心無い声で
そんなレッテルを貼っていないか?
そんなレッテルを貼っていては
積極的にチャレンジしなくなる
逃げ口実のレッテルは
剥がさなければならない
言葉は曖昧なもの
「好き」にもいろいろ…程度がある
「出来る」にもいろいろ…度合がある
「やる」にもいろいろ…本氣度がある
言葉を理解するのではなく
心を理解しなければならない
人と接するときに「みる」とは
視覚で捉えられるものを認識するだけではない
視覚+相手の心を感じ取ることが大切
そうすれば
相手を理解することが出来る
相手を氣遣うことが出来る
護身にもつながる
字は「一字一筆」
点画と点画の間で氣持ちを切らずに、書ききります
すると、繋がりのあるまとまった字が書けます
氣持ちの入った字にもなります
仕事なら…
休憩や中断等離れる間があっても構いませんが
やる氣だけは切りません
氣を切らなければ
中断した所にすぐに戻って再開できるし
一貫して氣持ちの入った仕事ができます
石と石はぶつかり合う
水と水は混ざり合う
身体と身体はぶつかり合うが
氣と氣は合流し一つになることが出来る
人を導くときは
氣を合わせると導き易い
海で遭難した時は
体力の消耗を防ぐ為に
水に浮かんで救助を待つ方が賢明だとか…
浮かんでいるときは
水に身を任せ水に対し心身を開いた感じ
陸上にいるときも
大氣に身を任せ大氣に対し心身を開いた感じでいれば
よりリラックス出来る
澄んだ心には
相手を思い通りにしようという我がない
済んだ身体には
相手を支配しようとする力みがない
澄んだ心と澄んだ身体で相手を受け入れると
相手とより氣が通い
相手をより良く理解することが出来る
出来ないと思えば出来ない
出来ると思い努力すれば出来るようになる
過去を悔い未来を憂いていては力を発揮出来ない
現在に集中すれば力を発揮出来る
どんな心でいると人生は充実するのか
この世界を創った創り主の想いが
この世界に満ちている
人に物事を頼む際は
「相手の立場に立って」頼む方が良いでしょう
物理的に無理な場合や
他の事をやっている最中では
相手は心よく動いてはくれません
心身統一合氣道では、相手を導く際に
「相手の立場に立って」導きます
例えば、相手の横に並び、相手と同じ向きに向いてから導きます
相手をより良く理解し尊重して導く習慣に役立ちます
サラサラと流れる水は澄んでいるが
流れの滞った水は濁ってくる
風通しの良い場の空氣は爽やかだが
風通しの悪い場の空氣は淀んでくる
人の氣も
怒りや不満、不安や心配等何かに囚われていると
濁ってくる
何事にも囚われずにいれば
清々しい爽やかな氣のまま
人の応援が力となって
能力を発揮出来ることがある
心の応援は
人に力を与えることが出来る
心には力がある
剣は
自分の思いに従わせようと硬く接すると
氣のない死んだ剣になる
動きを応援する氣持ちで柔らかく接すると
氣のある生きた剣になる
それは人との接し方にも通じるのではないか
愛情、思い遣り、優しさ…
それらは、物質として有るのか?無いのか?
無いとしても、その人から感じられる
癒す、解す、温める…
落ち着かせる、安心させる、元氣づける…
そんな力を持ったものが
その人から発せられている
上半身の力の入る所から動くと
力んだ動きになり易い
下腹の力の入らない所から動くと
力まない動きになり易い
下腹の力の入らない所から動くと
腰の入った安定した動きになり易い
リラックスするとどうなるのか?
身体が軽いのがリラックス
重くなるのがダラックス(虚脱)
動き易いのがリラックス
動き難いのがダラックス
周りが良くみえるのがリラックス
周りがみえないのがダラックス
自立しているのがリラックス
依存しているのがダラックス
元氣な時は
些細なことが氣にならない
やる氣がある時は
少々の苦難も乗り越えて行ける
「氣」は、心を強くする素
懐中電灯の明かりが暗いので
電池を変えたら明るくなった
表情が暗いので
○○したら明るくなった
○○は人それぞれ
○○によって「氣」が出てくれば
表情は明るくなる
相手の「氣」をみて
「氣」が出る手助けをしてあげるのも
愛情の一つ
元氣な人、やる氣のある人に
圧倒されることがある
圧倒されることを
空氣にのまれるとか
雰囲氣にのまれると表現することがある
元氣な人、やる氣のある人は
空氣や雰囲氣を持っていて
空氣や雰囲氣と共に動いている
本氣であれば本氣の雰囲氣があり
それが伝わってくる
陽氣、陰氣、強氣、弱氣…
それぞれ雰囲氣があり
それが伝わってくる
心の状態によって
発する「氣」の様相が変わる
水中の生き物は、水がなければ生きていけない
陸上の生き物は、空氣がなければ生きていけない
水や空氣など、その場にあるものは
生き物の中と外を行き来し、生き物を生かしている
こんな考えはどうだろう
我々は「氣」の場の中にいる
「氣」は我々の中と外を行き来し、万物を生かしている
優しく包むように子を抱っこします
抱っこせず触れるだけでも
触れずとも
見えずとも
氣持ちで優しく包むことは出来ます
そうやって優しい氣持ちで包まれた子は
安心してすくすくと育っていくのでしょうね…
書の上手な人の動きをみると
遠心力が感じられる
身体の外の空氣まで動く感じ
それは書に限らず
スポーツも然り
楽器演奏も然り
上手な人は
場の空氣と共に身体が動いている
何かを行う時に上手くいかないと
「心」が折れてしまうことがある
その時、「目的」つまり“何の為に”があれば
「心」は簡単には折れない
“何の為に”が「やる氣」を高め「心」を強くする
根を伸び伸びと張った草木はしっかりしている
それは草木だけでは無理で
地面との繋がり、一体感があればこそ!
我々も天地との繋がり、一体感があればしっかりしている
氣持ちの根を
四方八方に伸ばしてみよう!
負荷を一部で負えば大変だが
全体に分散させれば楽になる
荷を腕だけで持てば大変だが
全身で持てば楽になる
身体を飛び出して
身体の外にまで分散させれば
もっと楽になる
主役は舞台の中心に
脇役は舞台の端に
人生という舞台では
一人一人皆が主役
一人一人が舞台の中心にいる
そう思って悠々と!
そう思って堂々と!
身体を縄で縛られたとする
身体を氣にする人は、心まで縛られている
身体を氣にしない人は、心は縛られていない
身に病なり逆境なりが訪れたとしても
それを氣にする人は不自由となり
氣にしない人は自由がきく
囚われない心が自由を生む
植物は何故育つか
太陽光、空氣、水、土の養分等
大自然の恵みを取り込んで育つ
命が終われば
大自然の恵みに還る
私たちも成り立ちは同じ
私たちは大自然の恵みのかたまり
怒るのは
相手を良くする為?
だとしたら、相手の為で、理性的に出来るはず
自分の鬱憤晴らしの為?
だとしたら、自分の為で、感情的になりがち
誰の為に怒るのか
怒る前に自問自答すべし
人間は、形や体積があるので、固体?
血液のように流れるものがあるので、液体?
呼吸により外氣が出入りしているので、氣体?
固体、液体、氣体それぞれの特性を持っている
身体に力みがある時は、自分を固体として扱っている
自分を液体や氣体と認識してみると面白いかも(^^♪
元氣な人からは
元氣があふれ出ている
やる氣のある人からは
やる氣があふれ出ている
自分の周りに
元氣ややる氣で膨らむ風船があると考えてみよう
元氣風船、やる氣風船を
どんどん膨らまそう
氣のない返事
氣のない言葉
氣のない態度…
それらは、
誠意、熱意、思い遣り、本氣度等…
有るべきものが無い
来るべきものが来ない感じ
「氣」があってこそ
相手の心に伝わる言動になる
氣力でマラソンを走る時
走る「氣力」があって
「心」がゴールに向かい
そして「身体」が動いている
そんな時は、必要最低限の力で動いているのではないか
つまり無駄な力みがない
普段もそんな感じで動けば
力まず動けるのでは…?
大きな氣分でいると
些細なことが、氣にならなくなる
大ごとに思えそうなことが
些細なことに思えてくる
大きな氣分が
平常心を保つ助けになる
私たちの身体の半分以上は水だという
飲食によって外界から体内に取り入れ
排尿や皮膚からの蒸発等によって体内から外界に出している
水の視点でみると、外界と体内は絶えず交流している
水も交流しているが、「氣」もまた交流している
外界と交流することによって我々は生きていられる
外界と我々は分け隔てなく一体
心を打つ所作は
空氣が変わる
空氣がその人と一体となって動く
空氣を変えられるのが
一流の所作
水や空氣が流れないでたまることを、‘淀む’という
沈滞して活氣がなくなることも、‘淀む’という
活氣がない方の淀みは、何が淀むのか?
「氣」が存在し、それが淀むと考えてみよう
「氣」は「心」で動く
「心」で「氣」が交流した方が、その場が活氣付く
同じことを見聞きしても
思いや考えは人それぞれ
陽氣な人は明るく考え
陰氣な人は暗く考える
「氣」は心を明るくする基
人に何かを教えるには
自分が知っていなければならない
実技を伴うものならば
自分もある程度は出来なくてはならない
上手に教えたければ
自分の知識を整理し、技量を高めなければならない
人に教える機会は、自分が伸びるチャンス
人の為即ち自分の為
力んで動けば、早く疲労が来る
力まず動くコツは無いか?…
力んだ動きは、小さく硬く見える
大きく動けば、力まず動けるのでは!
自分の身体にとらわれず
身体の外の空間も一緒に動くと思えば
力まず柔らかく動ける
指示をして相手がそれに従ったとしても
相手が納得していなければ
上手く導けたとは言えない
相手の立場や考えを尊重して
相手が納得した上で行動させることが出来れば
上手に導けたと言える
相手の立場に立つ心が
あるかないかで大違い
風に吹かれざわついていた竹は
風が止めば静かになる
飛ぶ鳥の影を映していた渕は
鳥が飛び去れば何も映していない
自然はいつまでもとらわれてはいない
いつまでも、騒いだり嘆いたり拘っている人間は
どこか不自然なのかもしれない
決して威張らず、出しゃばりもせず
皆に恵みを与え
静かに皆を守っている
有って当たり前で
皆その存在を意識していないが
無いと困る
「氣」は、空氣のような存在
エアコンや扇風機が作る風は
出所が分かっている
自然の風は
どこからともなく吹いて来る
広がりを感じるが故に
余計に氣持ち良い
氣持ちの広がりが、氣持ち良さを助長する
お箸を自在に使いこなしている時は
お箸は身体の一部になっている
物を持って扱う際
物は身体の一部になっているか?
ペンは?ほうきは?ハンドルは?
ラケットは?ボールは?バットは?・・・
使いこなせている時は、身体の一部になっている
音は、空氣等を媒体として伝わってきます
では、「雰囲氣」「氣配」「愛情」等、何となく感じ取れるものは
何を通して伝わってくるのでしょう?
もちろん視覚から入る情報もありますが
「心」の状態を伝える何かしらの媒体があると考えても良いのでは…
それが「氣」であり
「氣」を通して「心」の状態が伝わってきます
元氣がないと、ついつい考えが消極的に
元氣がないと、だんだん身体が弱ってくる
「氣」は、心と身体を生き生きとさせる栄養素
大自然が与えてくれている大いなる恵み
私たちは、心と身体を持っている
もう一つ、空間を持っている
落ち着いている程、静かな空間
元氣な程、広い空間
その空間が、その人の持つ雰囲氣
良質な空間を広げましょう
ため息をついているときは、身体を重く感じます
動き難いので、何事もやる氣が起きません
笑っている時は、身体を軽く感じます
動き易いので、さっさと行動出来ます
笑って過ごせば、活動的になれます
つぼみは閉じている
花は開いている
つぼみは硬いイメージ
花は柔らかいイメージ
人間も、心身を閉ざしていれば、硬い印象になる
心身を開いていれば、柔らかい印象になる
心身を開く、そして開かせる工夫を!
自分は正しいと思えれば、自信を持って生きられます
では、正しいとは?
人、国、宗教、時代等によって、正しきがことなることがあります
一方、それらによらず普遍的に正しいものもあります
普遍的に正しいものに基いて生きる方が、より自信を持って生きられます
その為に、それは本当に正しいのかと、
自問する態度があると良いでしょう
相手に手首を掴ませます
掴まれた手を動かそうとしてもなかなか動けないのに
空に絵を描くつもりで手が動くと、自由に動けます
伸び伸び大きな氣持ちでいることが
自由を生みます
景色の良い所へ行くと、氣持ち良い
景色の良い所へ行くと、氣分が広がる
氣持ち良さと氣分の広がりは、関係あるのでは!?
それならば、何処にいようが、何をしてようが
大きい氣分でいようじゃないか!
氣を向けて話を聞いてあげれば、相手は安心する
氣を向けて世話をしてあげれば、相手は癒される
「氣」は相手の心身に入り込み、柔らかく解してくれる
干天時の乾いた土は固いが
雨天後の湿った土は柔らかくなる
「氣」はまるで、干天の慈雨のよう
波静まった水面には、鏡のように周りの様子が映ります
人間の心も波静まれば、周りの様子が映ります
心が静まる程、明らかに映り
氣が及ぶ範囲が広がる程、映る範囲が広がります
水中では、緊張して身体が硬くなると沈み易い
リラックスして力を抜くと浮き易い
それは、陸上でも同じでは…!?
身体に力が入っている時は、実は沈んでいる
リラックスして力を抜いている時は浮いている
従って、力を抜いている方が自在に動けます
氣力が萎える程、身体を重く感じ
氣力が充実している程、身体を軽く感じます
氣力が萎える程、重力に負けて動けなくなり
氣力が充実している程、重力に負けることなく自在に動けます
身体を軽く感じられる状態でいましょう
空氣が一杯入ったタイヤは、滑らかに転がります
空氣の抜けたタイヤは、転がりが鈍くなります
氣力一杯の人は、俊敏に行動できます
氣力のない人は、行動が鈍くなります
氣力の充実が行動力を生みます
イメージトレーニングは、実際に体を動かさず
頭の中で考えて、正しい運動動作を学習すること
イメージトレーニングにも関わらず
思わず力みが生ずる時は
実際に動く時も力みが生ずる時
イメージトレーニングでも
力みがなくなると良いでしょう
泳ぎの苦手な人は、緊張して身体が硬くなっています
水に対して、心身を閉じています
陸上でも、緊張して身体を硬くしている人がいます
周囲に対して、心身を閉じています
心身を閉じることが、緊張につながります
心身を開くことが、リラックスにつながります
私たちは、呼吸や食事をしなくては生きていけません
酸素も食材も、大自然が生み出しているもの
私たちは、大自然に生かされており、大自然と共にあります
大自然を傷つけるのは、自分を傷つけるのと同じ
自分を大切に思うのなら
万物を大切にしなくてはなりません
合氣道で相手を導く際に
相手の氣の動きにこちらの氣を足して
相手が行きたい方向へ行かせるやり方があります
タイミング良く出来れば良いのですが
タイミングが遅れたり、方向がずれていると、上手く導けません
人を応援したり手伝ったりする時も
相手がやろうと心が動く時にタイミング良く
相手の氣持ちに添うものであると良いでしょう
「執着」とは、強く心がひかれて離れられないこと
いつまでも腹を立てていたり
いつまでも落ち込んでいたり
いつまでも悲しんでいたり
いつまでも浮かれていたり…
「天空海闊」という言葉があります。
度量が大きく、こだわりのない様をいいます
執着を脱するには、大きな氣分が役立ちそうです
自分が見ている景色と、相手が見ている景色は違います
見ているものが違えば
氣付くことや、それに基づく判断も違ってきます
自分目線だけで判断せず
相手の立場に立って
相手目線で見た景色も想像することが
より正確な判断をすることに役立ちます
落ち着くのに深呼吸が良いと言われますが
胸やお腹に吸い入れる深呼吸では
胸やお腹に感覚が残ります
真に落ち着いた状態は
胸中や腹中に何も無いカラッとした状態です
より落ち着いた状態を得るには
胸やお腹を通り越して
さらに奥の方に吸い入れる深呼吸が良いでしょう
調子の良い時は、身も心も軽く感じます
すぐにスキップが出来るくらい
身も心も軽い状態でいましょう
すぐにスキップが出来る状態でいれば
姿勢も良くなります
「氣迫(氣魄)」は、氣力、精神力の強さですが
つい身体に置き換えてしまいがちです
表情が怖くなるとか
鼻息が荒くなるとか
肩を怒らせるとか…
氣迫は、「氣」や「心」の問題ですから
身体に置き換えなくても良いのです
本氣モードのまま、淡々と、静の状態でいれば良いのです
相手を思いやる時は、相手の状態を感じ取り易くなっています
相手を労わって触れる手は、相手の状態を感じ取り易くなっています
そのまま手を置いておけば、相手は癒されます
思いやりや労わりの心をもって、相手を感じ取る力がUPしている時
相手を癒す力もUPします
機敏に動ける身軽さを身に付ける方法はないでしょうか?
激しく回り続けているコマは、物に触れると素速く動きます
寝転がったコマには、そのような力はありません
身体を左右に揺らしたり、あるいはブルブル震わせたりして動かし
その動きを段々小さくしていきます
動きが小さくなって見えなくなっても
動きが続いていると決めて放っておきます
身体がふわっと軽く感じられ、動き出し易くなります
『心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず』といいます
きちんと見聞きするには、心がそこへ向かなければなりません
心が自然と向くのは、
好きな事、興味のある事、価値を感じる事などではないでしょうか
吸収力を高めるには、
何でも好きになる、興味を持つ、価値を見出すことが大切と言えそうです
同じような物音や言葉でも、
日によって氣にならない時と、耳障りで氣になる時があります
体調面の影響もあるかもしれません
精神的な影響もあるかもしれません
心が穏やかな時は氣にならないことも
イライラ等心が波立っている時は氣になり易いものです
周囲を責める前に、自分に要因は無いか省みる態度も必要でしょう
合氣道で、相手を投げようとして硬く接すると
相手も緊張して硬くなります
相手を優しく導くつもりで柔らかく接すると
相手は緊張せず柔らかいままです
自分と相手は、鏡のような関係になるようです
人に意地悪をすれば、相手も意地悪をする
人に親切にすれば、相手も親切にしてくれる
人に冷たくすれば、相手も冷たくなる
人を大切にすれば、相手も大切にしてくれる…
先ずは自分から、良き接し方をしたいですね
良い立ち姿勢とはどんな姿勢か?
「安定感」で考えてみましょう
その場で軽く跳躍してみます
かかとで着地すると、不安定で、且つ身体に衝撃が伝わります
つま先で着地すると、安定感があり、且つ身体への衝撃が有りません
軽く跳躍してつま先で着地した後、曲がった膝を戻せば
安定した立ち姿勢になっていると言えるでしょう
「不注意」に物を落としてしまう
物に「意が注がれていなかった」のでしょうか…
大事なものだったら、落とさなかったかもしれません
物に「意を注ぐ」、これを物に「氣を通す」といいます
氣を通せば、そのものと繋がり
不注意に落とすことはなくなります
相手に腕をつかまれたとしましょう
その腕を動かそうともがいても、なかなか動けません
腕をつかまれたとしても
反対の腕も、胴体も、脚も、心も、つかまれてはいないのです
他に動かせるもの、他に出来る事は一杯あるのです
何事においても、とらわれずに
出来る事は一杯あるということに氣付き行動すれば
道は開けてくるのではないでしょうか
心の状態と身体の動き方には、関係があります
慌てて前のめりになったり、驚いてのけ反ったり…
落ち着きが無いときは、身体の上の方から動き
姿勢が崩れる傾向にあります
心の落ち着くべき場所は、下腹といわれます
下腹に心が落ち着いている時は、下腹から動く感じになります
バランスを崩さずに動けるようになるので、怪我の予防や、
全身が一度に動く感じになるので、動きの質の向上につながります
勝負事には、勝ち負けがあります
勝てば嬉しい、負ければ悔しい
では、勝負する相手が失敗したり怪我をしたりしたら…嬉しい?
勝ちにこだわるのなら、嬉しいかもしれません
相手がいるから、試合が出来る
日頃の練習の成果を発揮することが出来る
自分の実力を試すことが出来る
感謝の氣持ちがあれば、嬉しがってはいないでしょう
興味のあることを見る目は、生き生きと輝いて見えます
興味のないことを見る目は、死んだようになっています
同じ「見る」でも輝きが違う
目を輝かせるのは、“興味がある”、“好きだ”、“やりたい”というような
積極的な「氣持ち」です
何かをするなら、先ずそのことに興味を持つ
人に何かを教えるのなら、先ず興味を持ってもらうことが大切でしょう
心の状態は、身体や身の回りに現れます
心が落ち着かない時は、身体も落ち着かず、身の回りも落ち着きません
服装や履物の乱れ、物を粗末に扱う、物を散らかす、食事の時の音、字の乱雑さetc.…
逆に、心が穏やかに静まっている時は、身体も静まり、身の回りも静まってきます
落ち着きを身に着けたければ、身の回りから変えていくのも一つの方法です
きちんとした服装をする
はき物をそろえる
物を大切にする
整理整頓をするetc.…
昔からよく言われてきたことばかりです
落ち着きを身に付ける為に、形として見えるものから躾けていったのでしょう
「痛い!」「やめて~!」「助けてくれ~!」
どんなシーンを想像しましたか?
バイオレンスなシーンですか?
実は、私が子供とプロレスごっこをしているシーンです
心の中は楽しんでいます
「言葉」の字面と、言葉を発した人の「心」は、異なる場合があります
「言葉」は、「心」を伝える道具に過ぎません
人の話を聞くときは、「言葉」を聞くのではなく
その人の「心」を聞くことが大切でしょう
心配、悩み、不安、怒り等、心が何かに奪われている時は
そのことで頭が一杯で
狭い世界に入り込んでいます
そんなときは、楽しめる何かをちょっとはさんでみましょう
ちょっと会話、ちょっと体操、ちょっとお菓子、 等々…
氣分が晴れて広い感覚を取り戻し
同じ物事を考えたとしても
氣軽に考えたり
良いアイデアが浮かんだりし易くなります。
癇癪を起した人の高い声を、「癇声(かんごえ)」と言うそうです
癇声は、その人の頭の方から発せられる感じ
一方、落ち着いた人の声は、腹から発せられます
癇声は、耳障りで素直には聞きたくないもの
依頼、指示、命令、忠告、指導等を人に伝えるときは
落ち着いて、腹からの声で伝える方が良いでしょう
ウソは?…良くない
素直なのは?…良いこと
間違いは?…許されない
「そうだ」と思った人もいれば、「違う」と思った人もいるでしょう
”物事に対する思いは、人それぞれ”
“物事に対する思いは、人それぞれ”と知っているだけで
より寛容の人になれるのではないでしょうか
人を「やる氣」にさせるのが上手な人がいます
強制的、高圧的、無理矢理ではなく
自らやりたくなるように「元氣」付けてくれます
合氣道の技は、相手を導き、投げたり抑えたりしますが
導く際は、相手が動き易いように
相手を“手伝う”、”応援する”、“鼓舞する”「氣」の流れで導きます
日常の中で人を導くのも、合氣道の技で相手を導くのも
相手の心が動くような、“暖かい”「氣」で導くのが
導き上手でしょう
自ら燃えると書いて「自燃」
他人が燃やすと書いて「他燃」
やる氣が有って、自ら積極的に取り組むのが「自燃」
やる氣は無いが、人に言われて仕方なくやるのが「他燃」
自発的が「自燃」
受動的が「他燃」
あなたはどっち?
他人の言動に寛容な度量の大きい人を
腹が大きいといいますが
いくら大きくても、有限の大きさでは
いつか満杯になってしまします
避雷針は、雷の電流を地中に放電し建物を守ります
腹(下腹)にも、避雷針のように
不要なものがどこかへ流れて消える回路があると考えてみましょう
ため込まずに済み、容量は無限大となり
益々腹の大きい人になれます
昔の人は、腹に心があると考えていたようで
「腹」を使った心に関する慣用句が多くあります
腹が立つ、腹の虫がおさまらない、腹に据えかねるは、
腹の中に何かしらの感覚がある状態
腹が癒える、腹の虫がおさまる、腹が据わるは
腹の中に特別な感覚はありません
腹中に何も感じないのが、落ち着いている状態と言えそうです
心身統一合氣道では、下腹の感覚のない所を「臍下の一点」と称し
そこに心が静まっている状態を「落ち着き」と説明しています
仏像の背後にある後光(光背)は
仏の光明、即ち、慈悲や智慧を表しているとのこと
仏の光明は、あまねく世界を照らしているそうです
自分からもそのような光が出て
世界を照らしていると思ってみては如何でしょう
もちろん、慈悲や智慧の心を以て
実は、心身統一合氣道の教えは、
「万有を愛護し、万物を育成する天地の心を以て、」
「氣を(天地の果てまで)出す」という教えなのです
似ていませんか?(^_^;)
うちわで扇ぎ続けると、腕が疲れてきますか?
腕を氣にし始めると、余計に疲れを感じます
身体を意識して動くと、無意識にも身体に力みが生じやすい
腕ではなく、風の方に意識を持って行くと、案外楽になります
動く時は、身体が動くのではなく、風が動く
物を運ぶ時は、風が運ぶ
庖丁で物を切る時は、風が切る
合氣道で相手を導くのも、風が導く・・・
色々な動作が楽になります
どんよりとした曇り空
どんよりとした川の水
空氣や水の流れが悪く滞っています
では、どんよりとした雰囲氣の人は、何が滞っているのでしょうか?
空氣や水に相当する「氣」というものがあって、それが滞っていると考えてみましょう
空氣や水の流れが良くなれば滞りが解消さるように
「氣」も流れが良くなれば、滞りが解消されます
「氣」の流れを良くするには、氣持ちを外に向けて広げることが役立ちます
自分から外へ向くものの質を考えてみましょう
目線…
元氣な時は、はっきり、真っ直ぐ
元氣の無い時は、虚ろで、およぎがち
声…
元氣な時は、はっきり、真っ直ぐ
元氣の無い時は、か細く、通り難い
心…
元氣な時は、対象に対してはっきり、真っ直ぐ
元氣の無い時は、不明瞭で、散漫に
元氣さが、自分から外へ向くものを
はっきり、真っ直ぐにさせてくれると言えそうです
己に克つということは
己を相手とする「もう一人の自分」がいるということ
困難や誘惑に負けそうな己に対して
「もう一人の自分」が
努力を続けて困難に打ち克ったり
欲望を抑えて誘惑に克ったりします
もう一人の自分は、努力を続ける「氣力」や
周囲の状況に左右されない落ち着いた「心」の持ち主です
しっかりした「もう一人の自分」を育てたいですね
誰かに身体を捕まれたとき、
捕まれた所を氣にして動くと、ぶつかって上手く動けません
その時は、心が捕まれた部分にとらわれ、視野が狭くなっています
身体は捕まれていますが、心まで捕まれているわけではありません
視野をもっと広げて、心を進みたい方向に向けると
身体がついてきて、捕まれたままでも動き易くなります
護身でも、直面する問題の解決でも、
視野を広げることが、現状を打開する助けとなります
お箸で食べ物をつかもうとする時、その食べ物のお皿が遠くにあれば、
お皿を近くに寄せるか、あるいは自分がお皿に近付くかしませんか?
身体から遠いまま無理をしても、上手くつかめません
無理をして無駄な力が入ると、「氣」の流れが滞り、指先の感度が鈍ります
逆に、感度の良い範囲内で動けば、「氣」の流れは滞らず、指先を自在に動かせるし
無理がないので、身体の故障も防げるでしょう
感度の良し悪しが、身体の使い方の良し悪しを教えてくれます
「心の状態」と「息」は、密接な関係があります
試しに、心の状態を色々変えながら、「はぁ―――」と息を吐いてみます
イライラ、カリカリした心の状態で
ガッカリ、ションボリした心の状態で
セカセカ、ソワソワした心の状態で…etc.
心の状態が乱れていると、息が乱れるのがお分かりになるでしょうか?
落ち着いた心の状態を保つには、息を静かに吐くことが役立ちます
静かに、遠くに向かって「はぁ―――」と吐きます
落着きを取り戻せるし
普段からやっておくと、心の状態が乱れ難くなります
元氣・陽氣な人は、エネルギーが外にあふれ出ている感じ
病気・陰気な人は、そのエネルギーがあまり出ていない感じ
エネルギーが外にあふれ出ている感じに相応しいので
元氣・陽氣は、中が「米」の「氣」の字を使いました
エネルギーがあまり出ていないのは、〆(しめ)ている感じなので
病気・陰気は、中が「〆」の「気」の字を使いました。
氣付きました?(*^_^*)
どんどんエネルギーを、外に向けて発しましょう
群れで生活する野生動物のボスは
群れの仲間が危険な目に合わないよう
四方八方に氣を張り巡らせ
広い感覚を持っているはず
私たちも、家族や大切な人を守る為に
広い感覚を持っていると良いでしょう
誰かに身体を抑えてもらって、歩こうとしてみます
自分の身体や相手のことを氣にしてもがくと歩き難いのですが
慌てず騒がず落ち着いて、自信を持って、心を前に向けて歩くと、歩き易くなります
身体を抑えられているということを
今自分が乗り越えるべき課題や困難に直面していると、置き換えてみましょう
前へ進んでいくには
「落ち着くこと」「自信を持つこと」「目的や目標にしっかり心を向けること」が
大切と言えそうです
身体を「ダラッ」とさせていると、体内では何が起きているか?
圧迫されますので、血液が流れ難くなったり
臓器が働き難くなったりして、体力低下のもとになります
体内の圧迫を改善するために
「ダラッ」ではなく、「フワッ」としているようにしましょう
自分が風船で、体内に空氣がパンパンに入っているイメージでも良し
自分が回転体で、外に向かって遠心力が働いているイメージでも良し
いろいろ工夫して、「フワッ」としているように心掛けてください
風にも色々あります
心を和ませる優しい風
心を閉ざさせる荒々しい風
氣持ち良くさせてくれる爽やかな風
心身を緊張させる冷たい風…
「風」を、その人が発する「氣」と置き換えてみましょう
心の状態で、その人が起こす「氣」の風が変わります
それが、「雰囲氣」となります
周囲に良い影響を与える「氣」の風を出していたいですね
寝ている時に見る夢には
楽しい愉快な夢もありますが
怖い不快な夢もあります
夢の質はどうやって決まるのでしょうか?
夢は、感情と関わりがあるといいます
日頃、心配や不安を感じていると、怖い夢を見易い
逆に、愉快な氣分でいると、楽しい夢が見られそうです
日頃どんな感情を多く抱いているか、見る夢が教えてくれます
日々、自分自身に愉快さを感じさせてあげることが
心と身体の主(あるじ)としての務めでしょう
この世は、常に変化し続けています
一度得た知識をそのままにしておくと
古くて間違ったものになるかもしれません
骨は、破壊と形成を繰り返して成長しているそうです
自分の知識を、本当にそうなのか疑って壊してみる
そして新たな知識を再構築していく
そういう謙虚な態度でこそ、成長があります
胸に吸い入れ、胸から出すと思えば「胸式呼吸」
腹に吸い入れ、腹から出すと思えば「腹式呼吸」
呼吸は、全身の細胞に酸素を届け
全身の細胞で生じた二酸化炭素を回収して排出すること
ならば、胸も腹もすっ飛ばして
全身の細胞に吸い入れ、全身の細胞から出すと思っても良いのでは!?
「全身呼吸」又は「細胞呼吸」とでも言いましょうか
思いを変えるだけで、深い呼吸が出来ます
寝るときのアドバイスを一つ
先ず、手足を伸び伸びと伸ばし、大の字に寝ます
遮るものはない広い広~い空間の真ん中にいると思ってください
後は、手足をどのように動かそうが、寝返りを打とうが構いません
但し、伸び伸びとした氣分はそのままに
氣持ち良く、リラックスして寝ることが出来ます
子供が無邪氣にじゃれ合っています
同じ事を大人が真似しようとしたら・・・
どこか氣恥ずかしくてやりにくいのではないでしょうか
何かしらの心理的壁を作ってしまいます
壁があると、相手との一体感は出てきません
挨拶や握手でも、心理的壁があれば、どこか余所余所しい
壁がなければ、氣持ちが通じ合い、一体感が生まれます
「氣」がよく交流するには、心理的な壁を取り除くことが必要です
コップの水が半分になりました
「覆水盆に返らず」といいます
無くなったものを嘆いて立ち止まっていても仕方在りません
すべてが無くなったわけではありません
まだ有るということに氣付き
有るものに感謝して
前に進んだ方が良いでしょう
部屋にじっと閉じ籠っていると
氣分が小さくなりがちです
実は、もっと氣分が小さくなっている時があるのです
それは、身体に閉じ籠っている時
あそこが痛い、ここが変だと、身体を氣にしている時がそうです
氣分が小さくなっているのは、元氣がないのと同じです
身体を突き破り、部屋を突き破り、地球を突き破り
宇宙の果てまで、氣分を広げてみましょう
元氣が出てきます
有って当たり前は「有り易し(ありやすし)」
有るのが奇跡的、貴重なのが「有り難し(ありがたし)」
日頃、有って当たり前と思っていたものも
無くしてみて初めてその貴重さが分かる
これからは
あれも「有り難し(ありがたし) 」
これも「有り難し(ありがたし) 」
感謝、感謝で生きていこう
武道では、相手の心の動きに素早く氣付き
適切な行動が取れるように稽古します
「相手の心の動きに素早く氣付き、適切な行動が取れる」は
日常生活にも役立ちます
良く氣が利く人になれます
日常に活かせることを稽古してこそ、稽古の意味があります
地球は、宇宙空間に浮かぶ星々の一つ
その地球に住む私たちは
A.宇宙空間に浮いている
B.地球の大氣の底に沈んでいる
どちらでしょう?
どう思うかで、身体の“しっかり度”が違います
人に、身体を押したり持ち上げたりしてもらうテストをすると分かります
Aと思った方が、しっかりしているのです
氣分も大きくなるので、お勧めです
相手に何か物を渡すとします
何処に心が向きますか?
物を持つ自分の手元?
渡す物?
受け取る相手の手元?
挨拶したり会話したりするときは
相手の顔の方に心が向いている方が氣持ちが伝わります
物を渡す時も、相手の顔の方に心を向けて渡した方が
氣持ちが伝わります
過去にとらわれたり、未来を憂えたりしていると
現在に心が充分に向いていません
そんな状態で物事を行っていると
心(忄)が亡くなって、忙(せわ)しさを感じるのです
「今」「ここ」に、心を向けられるようにしなくてはなりません
心身統一合氣道の稽古では、身体の向きを180度又は90度次々と変えながら
そちらにあるものが瞬時にハッキリ見えるように訓練します(八方運動)
「今」「ここ」に、心が向く習慣がついて
何事にも全力投球できるようになります
忙しさも感じなくなってきます
孫悟空は、お釈迦様と智慧比べをしようとして
筋斗雲に乗って全力で飛んで行きますが
お釈迦様の手のひらから抜け出すことは出来なかったそうです
孫悟空は争っていますが、お釈迦様は争っていません
大きな氣持ちで孫悟空を包み込んでいます
私たちもお釈迦様を見習って、大きな氣持ちで相手を包み、
争いの心をなくしていきたいものです
狭いユニットバスに入るより、広い露天風呂に入った方が、
氣分が大きくなると思いませんか
大きな氣分でいると、とても気持ち良いし、
リラックス出来て、リフレッシュされます
毎日広い露天風呂に入ることは出来ませんが、
大きな氣分でいることは出来ます
日頃常に、大きな氣分でいるようにしましょう
嬉しそうな人、楽しそうな人、幸せそうな人は、“明るく”みえます
まるでライトのスイッチが、オンになった状態
ライトからは光が出ていますが
人からも何かが出ていると考えてはどうでしょうか
それが「氣」であり
「氣」がたくさん出ている人が「元氣」なのです
「氣」をたくさん出して
周囲を明るく照らしたいものです
伸び伸びと羽を広げて優雅に空を舞う鳥
もし羽が縮まったら、上手く舞えないでしょう
私達には羽はありませんが
伸び伸びとした感覚は大切です
伸び伸びとした感覚でいれば
私達は、地上を優雅に舞うことが出来ます
自由自在に行動し易くなります
合氣道は、相手を導きます
導く際に相手の何を対象とするか?
「身体」を対象にすると、こちらも「身体」を使って力で動かしたくなります
「心」を対象にすると、こちらも「心」を使い「氣」を使って
相手が動きやすいように、“配慮”して導きます。
何事においても人を導く際は、相手の「心」に対して、
「心」や「氣」を使って、“配慮”しながら導く方が良いでしょう
相手に何か物を渡すときは
相手の手に渡すのではありません
相手の心に渡すのです
相手の心がちゃんと持ったことを確認して渡せば
相手はキチンと渡された感じがして、氣持ち良いものです
物を誤って落とすことも防げます
「本氣」で物事を行っているか?
「本氣」とは、身体だけを使うのではありません
「本氣」の人は、「やる氣」があります
“情熱”とか“熱意”と表現しても良いでしょう
「やる氣」があれば、疲れ知らずです
壁にぶち当たっても、突き進んで行けます
周囲の人たちの心を動かす力も持っています
物事を行うには、「氣力」と「体力」どちらも大事ですが、
合氣道の場合は、「氣力」の方が大事です
「氣力」:「体力」=10:0と言っても過言ではありません
「氣力」は実在し、相手の心を動かす力があります
「体力」偏重ではなく、「氣力」を使えるようになれば、
「全身全霊」で物事を行えるようになります
人間が与えられた本来の能力を発揮することが出来ます
野生の生き物は、獲物を捕らえたり、天敵から身を守る為に、
四方八方の氣配に氣付かなければなりません
獲物や天敵が起因となって生じる「氣」の変化を「心」が感じ取って
獲物を捕まえたり、天敵から逃げたりします
「氣」の変化を感じ取るためには、「心」がしずまっていることが必要です
それは、野生の生き物に限らず、私たちにも言えます
優しく穏やかな人は、包み込むような“暖かい”「雰囲氣」がある
相対的で攻撃的な人は、突き刺すような“冷たい”「雰囲氣」がある
「雰囲氣」はその人の「心」の状態によって変わり
周囲に影響を与える
“暖かい”「雰囲氣」は、相手の心を開き、癒す力がある
“暖かい”「雰囲氣」を発せられる人になりたいものだ
箸を使いこなせるようになる前は
持ち方や動かし方が氣になって
先端を上手く使いこなせなかったと思います
それは、持つ所に「氣」が止まって、先端まで「氣」が行き難いから
同じような現象は、“強く持つ”ことによっても起きます
箸、ハサミ、包丁、筆、ラケット、バット、クラブ、剣等・・・
物を持って扱うときは、“軽く持っている”のが基本です
寝ている子を、起こさないように静かに抱き起こして
寝床に運ぶシーンを想像してください
子の身体全体を運ぶ為に、どこかにぶつけないようにする為に、
氣持ちは子を包み込んでいませんか?
「氣持ちで包み込む」
これは、介護の場面等にも役立ちます
人を、“癒やす”ことにも役立ちます
穏やかに眺めているときは、周囲を感じ取れますが、
にらんだときは、にらんだ方向しか見えなくなっています
このときに「氣」は…
穏やかに眺めているときは、氣が四方八方に通った状態にありますが、
にらんだときは、氣が通わない状態にあります
氣が四方八方に通った状態だからこそ、“氣付き”や“氣配り”ができます
車の運転、接客、護身等々…日常の様々な場面に関係します
普段から穏やかに眺めるような眼差しをしている方が良いでしょう
仏教では、苦しみの原因は「執着」にあるといわれます
物事にとらわれることによって、悩み・不安等の苦が生じるというのです
何かにとらわれているときは、視野が狭くなっているものです
広い視点で柔軟に対応することもやり難くなっているでしょう
武道にも「執着」があります
相手にとらわれると、全体が感じ取れなくなります
「氣」が四方八方に通っている状態で「心」を向けると、全体を感じ取れます
「氣」が四方八方に通い、広い感覚を持つことが、
「執着」による苦しみを取り除くことにも役立ちそうです
元氣なときは、嬉しさ、楽しさ、幸せを感じ易くなっています
そんな氣分でいると、心は積極的になります
元氣がないと、嬉しさ、楽しさ、幸せを感じ難くなっています
そんな氣分でいると、心は消極的になります
心を積極的にするには、氣分を変えなくてはなりません
それに役立つのは、会話?、食事?、旅行?、運動?、趣味?、感謝?…
やり方は人それぞれでしょうが、
工夫して、氣分を明るくするようにして下さい
卵は、横から押すと弱いが、縦に押すと強いといいます
人間も真っ直ぐ立っていると、上から負荷を掛けても結構強いものです
しかし、姿勢が悪ければ、その強さは失われます
お勧めは、「つま先立ち」
つま先立ちをすれば、足先まで身体が真っ直ぐ起きた状態になります
つま先立ちをして、そこから静かに下ります
慣れない人は何回か繰り返すと良いでしょう
試しに誰かに肩を下に押さえてもらうと
しっかりしていることに氣付くことでしょう
元氣な人は、些細なことは氣にしない“明るさ”があります
周囲の物事に動じない“強さ”があります
「清泉湧出すれば、旁水の渾入するを得ざる 」といいます
清水が湧き出ているところには、傍らの水は入って行けません
元氣な人からは、まるで清水のような
“元氣パワー”が あふれ出ていると考えてはどうでしょうか
元氣を出したい人は、自分からもそういうものがあふれ出ていると
イメージするだけでも違いますよ(^o^)
孫を優しく撫でるお祖父さん・お祖母さんの手
子を優しく抱っこするお父さん・お母さんの手
人間の手は単なる“物”ではない
優しい氣持ちが伴っている
優しい氣持ちが伴う手は、人を癒し、元氣付ける力がある
ロボットの手には真似できない
人間に与えられたこの能力を、充分に活かしたいものだ
野に咲く花々や、草木の青葉をみていると
自然と癒され、元氣をもらえます
それらは皆、外に向かって伸び伸び・生き生きとしています
一方、我々人間は…?
背中を丸くしてクシャッとしていたり・・・
うなだれてダラッとしていたり・・・
もっと自然の生き生きとした姿に学ぶべきではないでしょうか
身体を起こし顔を上げ、心を外に向けるるだけでも、
氣分は変わってきます
草取りをする時、葉だけがちぎれて根が残ることがあります
心を根に向けて、根を感じながら抜くと、根まで抜き易くなります
これを、根に氣を通わせるといいます
握手する時は、相手に心を向けて、相手のことを感じながらすると、
氣持ちの通う握手になります
「執着」とは、強く心をひかれそれにとらわれること
執着が、悩みや不安、イライラ等の心の乱れを惹き起こします
執着心を改善する方法はないでしょうか?
空・山・海といった大自然に触れることによって
悩みが小さくなったり、氣が晴れてきた経験はありませんか・
その時は、大自然の雄大さに感化されて、氣分が大きくなっています
大きな氣分を持って物事をみることが、
執着を減らし心の乱れを減らすことにつながります
全力を尽くすとは
「全身全霊」で物事にあたること
「全身」だけではありません
「全霊」がくっついています
「全霊」をかみ砕いて言えば
「やる氣」があって
「心」をはっきり向けて取り組むこと
全力を尽くすには、
「氣」や「心」といった
目に見えないものが大切です
リラックスは、心と身体の緊張をとってゆったりすること
心身にとって必要なことですが、そのときに「氣」は?
「氣」は、「元氣」や「やる氣」と関わりがあります
「氣」が抜けて、「元氣」や「やる氣」のない状態でゆるんでいるのは、
“だらけている”状態と言えます。
だらけていると、生氣がなくなってきます
元氣よく、リラックスしましょう。(^o^)
元氣を出したいけど元氣が出ない・・・
こんな時はどうするか?
元氣のない時、調子の良くない時は、身体を重く感じます
逆に、元氣な時、調子の良い時は、身体を軽く感じます
この関係を利用して、身体を軽く感じられるようにします。
立っていても、座っていても、寝ていても、
空に浮かぶ雲のように、ふわっとしています
身体を変えると、氣分も変わってきます
元氣を出したいけど元氣が出ない・・・
こんな時はどうするか?
元氣のない時、調子の良くない時は、呼吸が乱れています
逆に、元氣な時、調子の良い時は、呼吸が平らです
この関係を利用して、息を平らに吐く「呼吸法」をします
静かに真っ直ぐ、「アー」と言う感じで、口から息を吐きます
静かに吐き終えたら、それを何回か繰り返します
呼吸を整えると、氣分も変わってきます
元氣を出したいけど元氣が出ない・・・
こんな時はどうするか?
元氣のない時、調子の良くない時は、感じ取れる範囲が狭くなっています
逆に、元氣な時、調子の良い時は、感じ取れる範囲が広くなっています
この関係を利用して、感じ取れる範囲を広げるのです
空、海、山といった雄大なものを相手にしていると
自然と感じ取れる範囲が広がります
氣分も自然と変わってくるでしょう
嬉しくて小躍りする
楽しくてスキップする
「嬉しい」「楽しい」という氣分が伴って
身体を動かしています
こんな時は、疲れ知らずです
集中する、継続するには、
「嬉しい」「楽しい」というような
明るい氣分が大切です
「我慢」は身体に良くないと言われます
我慢は、苦しみや怒りなどを感じながらも、その氣持ちを抑えること
影響を受けてから、且つ、それに耐え忍ぶ感じでしょうか・・・
根のしっかりした木は倒れないように
海面が荒れていても海底は静まりかえっているように
「心」に“深み”があれば、そもそも影響を受けずに放っておけるので
我慢する必要はありません
少々のことには影響を受けない、心の“深み”を持ちたいものです
『心ここに在らざれば、
視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず』といいます
心をきちんと向ける習慣を付けたいものです
心身統一合氣道の稽古では
身体の向きを180度または90度変えたときに、
そちらにあるものが瞬時にハッキリ見えるように訓練します(前後運動、八方運動)
いつでも身体の向いた方向に心が向く習慣が付いてきます
「失敗」は良くないこと?
そこから何かを学び、自分の成長に繋げられれば
それはプラスになる
「病」は良くないこと?
そこから何かに氣付き、生活習慣の改善等に繋げられれば
それもプラスになる
一見マイナスに思えるようなことも
上手に活かすことによって、 無駄なことはなくなってきます
氣分の落ち込みも減らせるでしょう
自分は落ち着いているのか?
落ち着きがあれば、「氣」が四方八方に行き渡っており、
周りがよく感じ取れます
よく氣が付き、適切な行動ができます
感じ取れる範囲が広いかどうかで
自分が落ち着いているかどうかが判断できます
勉強であれ仕事であれ、何事を成すにも
「氣」と「心」のベストマッチがあります
氣力がなく、心は余所に向いている・・・全くものになりません
氣力がなく、心を向けている・・・疲れます
氣力はあるが、心は余所に向いている・・・集中していません
氣力があって、心が向いている・・・この状態が一番良いでしょう
氣力を充実させ、心を向けたい所に自在に向けられるようにしたいものです
他の動物と人間との違いの一つは、
生きているだけで満足するかどうかでは・・・
人間は他の動物にはない能力を与えられているからこそ、
与えられた能力を活かして、何かをしたい生き物なのでは…
その何かが、皆に喜ばれることなら尚更嬉しい
逆に、この世で何かなすべき使命が与えられているが故に、
他の動物にはない能力が与えられているのかも!
武道では、相手が何かしようとしてくる時、それに素早く氣付くことが大切です
氣付いて、危険を回避したり、相手を制したりします
その氣付く力は、日常生活でも役に立ちます
相手は元氣なのか元氣がないのか・・・
知り合いであれば、何か普段と違う感じはないか・・・
相手の心や氣の状態を感じて、その人に対して適切な対応をとることが出来ます
武道を学ぶ者は、よく氣付き
思いやりのある行動がとれる人になりたいものです